森銑三『古人往来』を読んで
森銑三という名前、正直に言うと私は知りませんでした。しかし手に取ったこの『古人往来』は、読んでみると非常に面白いアンソロジーでした。昭和6年・7年頃に書かれた文章や、戦後昭和20年代の随筆から選び抜かれたものをまとめた一冊。文庫本でおよそ300ページ。歴史の有名人から、あまり知られていない人物まで、幅広く紹介されています。
知らなかった人物像との出会い
豊臣秀吉や織田信長、真田幸村、後藤又兵衛といった有名どころはもちろん登場しますが、それ以上に「徳川時代にこんな人物がいたのか」と思わされるエピソードが多く、驚かされました。例えば堀部保兵衛、平賀源内などは、ありきたりの評価ではなく、独自の視点で描かれています。平賀源内については「天才」ではなく「才人」と評価していたのが印象的でした。
魅力的なエピソードたち
坂本龍馬の剣術の腕前、そして「これからは拳銃の時代」と新しいものを受け入れていく姿勢。
勝小吉(勝海舟の父)が14歳で家出し、道中で騙されたり病に倒れたりしながらも、さまざまな人の親切に助けられて生き延び、やがて成功して恩を返す痛快な物語。拾い読みするだけでも心が温まります。
現代語訳でわかりやすくまとめられているので、知識がなくても読みやすく、解説の巧みさと森銑三の知識量には圧倒されました。
印象に残った引用
蒲生氏郷が「天下を取るのは前田利家だ」と見抜いた言葉(p28) 後藤又兵衛が黒田家を去った事情(p39) 吉宗の率先垂範の姿勢(p62) 板倉勝重の人間的な大きさ(p71) 土井利勝の公正さに「現代にもこうした為政者を求めたい」と森が記すくだり(p88) 「這えば立て、立てば歩めと…」という井上河内守の歌(p115) 勝小吉の「夢酔独語」に繋がる少年時代の放浪(p193)
こうした人物像の描写は、歴史を単なる出来事の羅列ではなく「生きた人間の物語」として感じさせてくれます。
読後の感想
本書を読み進めるうちに、森銑三という人物の幅広い知識と観察眼にすっかり魅了されました。単なる人物評ではなく、歴史の中で人間がどう生きたかを描き出しているのです。読むうちに「この人の別の著作も読んでみたい」と強く思いました。
歴史好きはもちろん、人物伝やエピソード集が好きな方にもおすすめできる一冊です。
備忘します。
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…関白(秀吉)の世の中になりましょうかと通ったら蒲生氏郷とは首を振って、「あのうつけ人に、誰が従おうか」と言った。それなら天下の主にはどなたがおなりでしょうか問われて、「加賀の又左(前田利家)「と言った。ま前田利家が得られませんでしたらとの重ねての問いに、「又左が得られねば、我らが得ようわ。」…それなら徳川はいかがでございましょうとそのものが問うたら、「これは天下を取る人じゃない。人に知行を与えるのにも、思い切った与え方をするだけの器量がのうて、どうして天下が取られるものか。そこへ行くと、又左は切れ者じゃ、分に過ぎた与え方をする。天下を取るのは、この人じゃ。」氏郷はそう言った。ページ28
後藤又兵衛基次は、老婆の心を安んじたいために大禄を食んでいた黒田家を去った。それは誠に心強い話であるが、基次と長政との間が、しっくりしなくなったと言うのも、また事実であった。それだけに基次は、同家を去るにも、後ろ髪を引かれるような思いはしなかったろうと思われる。ページ39
しかし吉宗その人は、身をもって率いた。将軍だからといって、安逸を貪ろうとはしなかった。その点において、後の11代将軍などとは、根本よりして相違していた。11台家斉の人物を知る花邸は、折に触れて、吉宗の上に思いを馳せざるを得なかったのであろうと推せられる。ページ62
僧門よりいでて、その臭みがなく、武士となって武士中からず、勝重はあくまでも人として立派であった。人物が正しく、明るく穏やかで、そして大きかった。板倉一茂の時は、実にがたい器であった。そしてまたいつの時代にも欲しいと思う。ページ71
土井利勝の人々の公正の態度を思う時、我らはいいようのない感じに打たれる。現代においても私たちは、私信なき為政者、私信なき吏人を求めたい。ページ88
井上河内守正俊の末子を左衛門と言った。これが河内守のまな子であった。河内守に歌がある。
這えば立て、立てば歩めと 子を思う わが身に積もる 老いを忘れて ページ115
勝子吉は後の勝海舟の父となる人である。元服して…夢酔と号した。恵まれない少年時代を過ごしたので、学問に身を入れたわけでもなく、文字の素養などは乏しかったのであるが、そうした人が晩年に「夢酔独語」と題する自叙伝を書いているのだから珍しい。右の放浪記はその時代の1部を成すのである…ページ193
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