本書の概要
中島岳志氏(1975年生まれ・東京工業大学教授)と島薗進氏(1946年生まれ・上智大学グリーフケア研究所特任教授)の対談新書『愛国と信仰の構造――全体主義はよみがえるのか』を読んだ。二人は近代日本の歩みを「景気高揚―民主化―不況―急進化」というリズムで整理し、明治維新から太平洋戦争に至るまでに生じた“愛国と宗教の危険な合体”が、戦後を経た現代日本でも再現されつつあると警告する。彼らの論点を追うと、2025年の私たちは“大正デモクラシーが終わり昭和初期へ転じた頃”とよく似た地点に立っていることに気づかされる。
不安が生むナショナリズムと宗教の融合
著者たちが最も重視するのは、国民の不安と苛立ちが噴出するときにナショナリズムと宗教が共鳴しやすいという歴史の教訓だ。極端な競争社会では富裕層も貧困層も安定を失い、その「不安の受け皿」として排外的言説や“救済”の物語が求心力を持つ。かつて身分制度を一掃した「一君万民」思想が天皇を中心に民を束ねたように、現代のデジタル空間でもカリスマ的リーダーと“怒れる大衆”の二項構造が生まれやすい。著者は「国家神道と諸宗教のあいのりが昭和全体主義を加速させた」と述べ、同じ轍を踏まぬよう警鐘を鳴らす。
2025年日本の現実――加速する大衆の焦燥
実際、直近の参院選では「Japan First」「即断即決」を掲げる勢力が大きく議席を伸ばした。SNSでは中国・韓国への敵対心を刺激する投稿が拡散し、穏健な議論は「遅い」「弱い」と片付けられる。島薗氏は「決められる政治の速さがもてはやされる風潮は立憲デモクラシーと相容れない」と指摘するが、現場感覚としても“大衆の焦燥”が漂うのを感じる。著者たちは米軍が東アジアから撤退した際、この焦燥が一気に噴出し、強権待望論が現実味を帯びると予測する。アメリカという後ろ盾を失ったとき「日本人は不安に耐えられないのではないか」という一節が重く響く。
真の保守主義とは何か
一方で二人は、過去を尊重しつつ多様性と熟議を守る「真の保守主義」の重要性を説く。懐古や排外ではなく、歴史的連続性と自由を両立させる姿勢こそが社会を踏みとどまらせると強調する。速さや強さだけを称揚する“見せかけの保守”が支持を集める現在だからこそ、合意形成に時間をかける「遅さ」をむしろ価値として認めたい。
歴史の韻を聞き取り、熟議を選ぶために
本書を読み終えて強く感じたのは、歴史は決して同じ形で繰り返さないが“韻”を踏むということだ。マスの苛立ちを吸い上げる排外的ナショナリズムと、絶対視される“聖なる物語”が結び付くとき、全体主義の芽が再び成長する。だからこそ私たちは、まず歴史の失敗を直視し、討議や折衷の「手間」を惜しまない文化を育てる必要がある。速さより熟議、排外より共生――そんな日常の選択こそが、次の破局を未然に防ぐ唯一の道だと痛感した。
備忘します。
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極度の競争社会が拡大すると、高所得者であれ低所得者であれ、不安定な日常に不満と不安を感じる人たちがナショナリズムに傾斜する傾向があります。…ナショナルナ…ナショナリズムと宗教。あるいは、愛国と宗教。この2つが暴走するのは、とても危険なことです。二次世界大戦前の日本でも、現代と同じように個人化が進化していた。そして、その後に起こった事は、バラバラの個人が国家とダイレクトに結びつき、全体主義の時代になだれ込み、戦争に突入していったという歴史です。ページ18
超越的な天皇にだけ真の主権を認めることによって、天皇以外の民の間には一切の身分差、階級差を作らない。幕藩体制に否定的であった吉田松陰らの間で広まった、この一君万民の思想が最初に成し遂げたことが、江戸幕府の解体でした。ページ28
当時の日本の志士たちは、革命と言う概念を嫌いました。自分たちがやろうとしているのは王政の復興である、本来の日本の国体へと戻すことによって日本の歴史を正す運動だというのが彼らの主張だったわけです。ページ31
自由民権運動とは、身分制を批判し専制的な政府のあり方を批判する運動です。その中では国民主権の原則が主張され、国会開設と参政権の確立が展望されました。ページ41
問題はここからです。実はこの古代社会を理想とするユートピア主義と国民主権と天皇の大権の一致を目指すナショナリズムの2つの潮流は、戦前の仏教、とりわけ親鸞主義や日蓮主義と深い関係を結んでいくことになるのです。ページ44
その象徴が16歳で華厳の滝に身を閉じた藤村操でした。雲の中に入ってしまった青年たちは、国家の物語と個人の物語を一致させることができなくなり、自己喪失するのです。ページ55
三井の論理の中には他力思想があります。つまり計らいを超えた弥陀の本願という他力にすがることが、彼らの考えの中心にある。しかし、どこかでこの本願が天皇の大御心とすり変わっていくんですね。この天皇の大御心に随順して生きていくことが信仰である。そういうロジックが出てくるわけです。ページ68
外への拡張主義という意味での「超」は、幕末以降の日本が尊皇攘夷から開国に転じ、西洋の拡張主義になって尊皇植民地主義となったと考えるとしっくりすると思います。国家神道がそのまま中華思想的な拡張主義に向かうということです。ページ84
田中智学の八紘一宇は中華思想的な発想による世界を1つの家にするという意味だと申し上げましたが、これが日蓮仏教的な「国家を超える」と重なる。だから橋川的な意味で超国家主義と日蓮主義はとても近いのですよね。ページ85
北一輝はほとんど天皇手段として考えていますから、天皇信仰の対象としているタイプの超国家主義者とはだいぶ違いますね。ページ97
こう見てくると、日本人は、1890年あたりから強力な国家神道の規範秩序に組み入れられたと考えることができます。したがって、日清日露の戦期以降の煩悶青年たちは、国体論の教えを日常的に身体化し始めていった世代とも捉えられるわけです。ページ109
天皇を語りながら体制の変革を求める大本教は、権力側にとっては政府転覆を図る革命勢力に見えたのでしょう。天皇という国家存在の正当性を奪取されてしまう、国家の論理が内破されてしまう、と。そのために、1921年に政府は徹底的な弾圧を行うんですね。この弾圧を受けてから、当時の大本教の指導者であった出口王任三郎は、さらに極端な形で皇道へと傾いていきます。ページ128
この時期の大本教には、昭和の超国家主義的な変革思想にシンクロしていく側面は確かにありました。ただ、そこだけ注目すると、大本教の宗教運動の本質を見余ってしまう危険性もがあるのではないでしょうか。ページ129
言ってみれば、国家神道と諸宗教のあいのりが、不幸なことに昭和の全体主義にドライブをかけてしまったわけです。ページ134
大衆社会とは、人々がトポスと言うものを失って、バラバラになって熱狂しやすくなってしまう社会です。そういう社会に対する反発から書かれたものが「大衆の反逆」です。その本では彼は非常に重要な指摘をしています。ヨーロッパでは死者は死んだと。どういうことかといえば、トポスを失って流動化した社会というのは、死者を殺した上に成り立っているというわけです。死者との対話もせず、自分が単独の個人として生きられるという妄想の中で生きている。トポスを失うことで、自分がどうしてこの場所に生きてるかわからない、のっぺりとした空間の中で生きている人々が増えたときに、オルテガが危惧した大衆の気分化が広がります。さらに多数者の専制が起き、自分とは違う考え方の人々を排除しようという動きが広がってしまうのです。ページ191
私は現在の靖国神社に首相は公式参拝するべきではないと思っています。1番の問題は遊就館の展示です。かつての遊就館の展示や死者の遺品を静かに眺めるといったものでした。私が高校生、大学生の時はそういう空間でした。しかし、現在は基本的には大東亜戦争は正しかったという歴史観を表明する博物館になっていて、そのストーリーをかっちりと作ってるわけです。そういった場所に、ある政治的な立場にある人が行く事は、どう考えても、この歴史観を追認すると言うふうに対外的に見えます。ページ216
近代日本の中で1番希望がある人は誰かと問われると柳宗悦ではないかと思うのです。彼はアジアとの連帯を考えながら、アジアの独立と言うものをしっかりと支持し、日本の全体主義にもしなかった。ですから、日本のアジア主義のアリ得たかもしれない道を柳宗悦が示してるように感じます。ページ226
ここに大衆や民衆の持つ両義性の問題があります。民衆は自分のよって立つは足がなくなると、つまり社会が流動化すると非常に危うい存在である大衆になっていく。これこそが、オルテガ行った大衆の反逆です。大衆の反逆がナチズムのような全体主義を生み出していく。ページ250
戦前とパラレルにすすんでいる戦後において、全体主義はやはり蘇るのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えても良いでしょう。ページ253
全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退した時なのではないかと考えています。つまりアメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。ページ254
現在の日本で天皇に対する熱狂的な信仰は無いと申し上げましたが、しかしその代わりに、中国や韓国への対抗意識から、広範囲の層にわたってナショナリズムの高揚が見られています。そしてそのナショナリズムを政治的に利用としようという動きが露骨になってきている。そこに国家神道的な思想が動員の道具とされているわけです。ページ256
その意味で、今私が恐れているのは、日本社会全体が性急な変化を求めようとしていることです。他者との利害調整や合意形成に時間をかけず、決められる政治のような意思決定の速さをばかりがもてはやされる。その性急な態度は、立憲デモクラシーとも相容れないものではないでしょうか。ページ257
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