下重暁子著

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はじめに

最近、「明日死んでもいいための44のレッスン」という本を読みました。著者の人生哲学と死生観について、深く考えさせられる一冊でした。

印象に残った言葉

「死に方は生き方、生き方は死に方。人は生きてきたようにしか死ねない。」

この言葉には強く共感しました。私たちの人生は、日々の選択の積み重ねであり、その集大成が最期の時を形作るのだと感じます。

生きることと死ぬこと

著者は「明日死んでもいい」という言葉を、ネガティブな意味ではなく、むしろ今を充実させるための指針として使っています。特に以下の点が印象的でした:

  • 今日を精一杯生きることの大切さ
  • 自己表現を続けることの重要性
  • 年齢を言い訳にしないこと
  • 社会参加の継続

日常の大切さ

「普通に日常生活を送れていることが、どんなに幸せなことなのか。」

当たり前の日常こそが、実は最も価値のあるものかもしれません。著者はこの気づきを様々な経験を通して伝えてくれています。

生きる姿勢について

  • 「歳だから」という言葉を使わない
  • 若い友人を持ち続けること
  • 身ぎれいであることの大切さ
  • なすべきことがある幸せ

おわりに

この本は単なる死生観についての本ではなく、より良く生きるためのヒントに満ちています。著者の言葉を借りれば、「明日に向かって今日を歩んでいく道のりに幸せを感じられる人生」を送ることこそが、本当の意味で「明日死んでもいい」と言える状態なのかもしれません。

備忘

覚悟さえできていれば生き方も変わってくる。死に方は生き方、生き方は死に方。生まれた時から私への進行は始まっているわけだから、人は生きてきたようにしか死ねない。ページ13
だから私は死んだ人のことを機会あるごとに意識して話す。そのたびに、彼や彼女たちの声が聞こえ、密かに私の方を彼らが通り過ぎる気配を感じることができる。ページ18
言葉を変えて言えば、後悔と言う私の思いがなくなったときに、私は死ぬ。もし可能であるならば、私は私の思いを、あの世まで持っていきたいと思っている。死んだら無になるというより、よほど夢があるからだ。ページ19
あの時愛しておけばとか、こんな道もあったのになどと、どうだこうだ考えて鬱になるより、「あの時決めたのは私」とさえ思えれば、あれでよかったあれしかなかったと自分で納得することができるのだ。ページ24
早く亡くなった人は、決して不幸ではない。人の心の中に自分の姿をみつけ、生きていた時以上に印象深く、生き続けるのだ。ページ28
1人住まいの103歳の頃、健康雑誌の対談に訪れた。いつまでもお元気で!と挨拶すると、「ああ忙しくて忙しくて死ぬ暇もありません」けだし名言である。ページ35
あの時、挑戦したからこそ、今がある。転機には乗ってみるべし、を自ら証明できた。責任を持って後半性を生きる勇気も持てた。ページ44
その時、私は悟ったのだ。この先人生に何が起こっても、私はその延長線上にある。私がいつともわからないのに、そこから逆算するなどできない。明日に向かって今日を歩んでいく道のりに幸せを感じられる人生を送っていたら、明日死んでも良いのではないか、と。ページ45
眠ったまま目覚めなければそれは死だ。とすると、死に至る過程で夢を見るのだろうか。ベージ50歳をとっても身ぎれいであることが、どんなに大切なことか。歳だから構わなくていいなんて、とんでもない。歳だからこそ若い頃より気をつけて身ぎれいに保っておかなければならない。ページ92
死に装束を決めるなんて縁起でもないという勿れ。死はいつも突然にやってくるのだから。ページ96
寝る子は育つ。よく寝る高齢者はボケない。ページ98
明日死ぬかもしれないからこそ、今日楽しむ。それが生きるということ。いざその状況になったときに実践できるかはいささか心もとないとはいえ、そうありたいとは思っている。ページ120

しかし私がこのタイトルにはめ込んだ本当の意味は、ものを捨てることではなくてものを捨てないことなのだ。捨てないというよりは、捨てるようなものは買わないと言うことなのだ。ベジ121
社会に対し、自分の意見を表明できなくなったら、おしまいだ。せめて生きてる間は、自分にできる方法で社会参加し続け、後世のために、少しでも良い社会を残したい。ページ131
むのけんじさんという方をご存知だろうか。…戦争反対を訴え晩年も憲法集会やデモに参加し続け、硬骨の人として亡くなった。その一環した人生の中で、85歳で書いた詩がある。「死ぬ時、そこが人生のてっぺんだ。」人は死ぬ時が1番個性的であるべきなのだ。ページ151
普通に日常生活を送れていることが、どんなに幸せなことなのか。ページ166
なすべきこと、しなければならないことがあるのは幸せである。自分の生きる場で自分が必要とされていることが、どんなに素晴らしいか。ページ167
自分の死を知らせる連絡リストを作る、私が明日もし死んだとしてもそれを連絡してほしい人がいるだろうか、たくさんいるような気もするし誰もいないような気もする。ページ170
もう歳ですからという言葉、私は絶対に使わない。それは何もできないことの言い訳でしかなく、そういった途端に、何も努力をしなくなるからだ。高齢者は「歳だから」に甘えてはいけない。ページ182
歳をとったら自分よりずっと若い友達を持ちたい。いくら若くてもいい。ページ185
明日死んでもいいと思えるためには、今が充実していなくてはならない。そのためには体の手入れはいつもしておかなければならない。ページ187
明日死んでもいいと思うためには、常に自己表現をしておく必要があると私は思っている。ページ194
良寛さんは死についての答えとしてこう言っている。「死ぬ時節には死ぬがよく候」それが死の恐怖から逃れるための方法だと教えてくれる。ページ199

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