10年ぶりに再読した
『古事記を旅する』
三浦佑之 著|文藝春秋
神話の舞台を、自分の足でたどった記憶
再読して見えてきたこと
三浦佑之さんの『古事記を旅する』を、10年ぶりに読み返しました。
初めて読んだときは、古事記の物語を、地図や写真とともにたどる面白さに引き込まれました。神話の舞台が、日本海沿岸、九州、瀬戸内、淡路島、奈良、東国へと広がっている。その壮大なスケールに驚いたことを覚えています。
10年ぶりの再読では、受け止め方が少し変わりました。この間に、本書に登場する場所の多くを実際に訪れたからです。
本の中の地名を読むたびに、現地で見た海や山、神社、古墳、街道の空気がよみがえりました。古事記は、神々や天皇たちが登場する遠い昔の物語です。しかし、実際の土地を歩いてから読み返すと、それは単なる神話や歴史書ではありません。
海を越えようとした人々の祈り。土地を守ろうとした人々の思い。王権をめぐる栄光と敗北。そして、その土地に暮らした人々の記憶。古事記は、日本列島の各地に残る記憶をたどる物語なのだと、あらためて感じました。
第一部 日本海側から始まる、出雲と古代の旅
第一部では、対馬海流と日本海沿岸をたどりながら、出雲、鳥取、宗像、糸魚川、諏訪など、古事記の世界と深く関わる土地を巡ります。
出雲大社で感じた、神様の存在
再読して最初に強く思い出したのは、出雲大社です。広い境内に立ったとき、単なる有名な神社という言葉では表せない荘厳さを感じました。大きなしめ縄、静かな参道、古い社殿、周囲の空気。そのすべてが、長い時間を超えて積み重ねられてきた祈りを感じさせます。
「ここには神様がいる」と感じた、と言うほかありません。
古事記における出雲は、ヤマトと並ぶ大きな存在です。本書は、ヤマトと出雲を単純な勝者と敗者として扱うのではなく、争いながらも折り合いをつけ、共存への道を探った関係として考えさせてくれます。出雲大社を実際に訪れた後では、その見方がより現実味を帯びます。
宗像から見た荒々しい日本海
宗像大社から眺めた日本海の荒海も、忘れられない景色です。古代の人々にとって海は、単なる移動の道ではなかったはずです。大陸や朝鮮半島へつながる道である一方、ひとたび天候が変われば命を奪う恐ろしい境界でもあったでしょう。
宗像の地から海を眺めると、なぜ沖ノ島をはじめとする海の信仰が大切に受け継がれてきたのか、少しわかるような気がします。荒海の向こうに未知の世界を見つめながら、航海の安全を祈った古代の人々。その姿を想像すると、神話は急に人間的なものとして迫ってきます。
宇佐神宮の広大な境内
大分の宇佐神宮も、深く印象に残る場所です。広大な境内を歩くと、その規模と静けさに圧倒されます。長く続く参道、豊かな木々、朱塗りの社殿。そこには、長い年月をかけて積み重ねられてきた祈りと信仰の厚みがありました。
出雲大社の荘厳さ。宗像から望む日本海の荒海。宇佐神宮の広く静かな境内。再読しながら、それぞれの場所で感じた空気がよみがえりました。古事記の神話は、抽象的な物語ではなく、海や山、土地と結びついた人々の切実な記憶として感じられます。
第二部 九州から東国へ。高千穂、古墳、そして神話の道
第二部では、九州・高千穂から神武天皇の東征を経て、瀬戸内海、熊野、伊勢、熱田、そして走水、富津、霞ヶ浦へと旅が続きます。
神楽に見た、今も息づく神話
高千穂で神楽を拝見したときの感動も、再読によってよみがえりました。舞、囃子、面、火、そして祈り。神楽は、単なる観光の催しではありませんでした。
神話の世界が、舞台の上で今も受け継がれている。古代から続く物語が、地域の人々の手によって息づいている。そのことに深く感銘を受けました。書物の中の神話ではなく、地域の文化として生き続ける神話。それを目の前で見た経験があるからこそ、天孫降臨の物語も、以前とは違う重みをもって読めます。
宮崎の古墳群に圧倒される
宮崎で見学した古墳群も、印象深いものです。その数の多さ、そして一つひとつの立派さには驚かされました。教科書の中では「古代の墓」として学ぶ古墳も、実際に目の前にすると、古代国家の力と、人々の暮らしの大きさが伝わってきます。
誰が埋葬されたのか。どれほどの人々が工事に関わったのか。どのような社会が、この大きな墳墓をつくり上げたのか。現地に立つと、古墳は単なる遺跡ではなく、当時の人々の力や信仰、社会の仕組みを今に伝える存在だと感じます。
海と陸で結ばれた古代の日本
九州、瀬戸内、熊野、伊勢、関東。現代の地図で見れば遠く離れた土地ですが、古代の人々にとっては、海を越え、川を上り、山を越えて結ばれたひとつの世界だったのでしょう。
本書は、天孫降臨から神武天皇の東征、ヤマトタケルの旅までを、各地の風景とともにたどっていきます。伊勢神宮とヤマト王権の関係、東国という呼び名の由来、地域ごとに残る伝承。古事記を、ひとつの中心から眺めるのではなく、日本列島の各地に広がる物語として読み直させてくれる一冊です。
第三部 淡路・大阪・奈良。ヤマトの栄光と、歴史の重み
第三部では、淡路島から大阪、奈良、宇治へと旅が続きます。
沼島の上立神石と国生み神話
淡路島では、沼島の奇岩「上立神石」を見学しました。海の中にそびえるその姿には、自然の造形を超えた神秘性があります。古事記の国生み神話を思いながら眺めると、なぜこの地がオノゴロ島の伝承と結びついたのか、少しわかるような気がしました。
海と岩だけの風景の中に、古代の人々は神の姿を見たのかもしれません。10年前に本を読んだときには、上立神石は神話の舞台として理解していました。実際に訪れた後に再読すると、その海の色、風の強さ、岩の存在感まで思い出されます。
日本最大の古墳、仁徳天皇陵古墳
大阪では、日本最大の古墳である仁徳天皇陵古墳も見学しました。その規模は想像以上でした。空から見なければ全体像がわからないほどの巨大な古墳が、現代の都市の中に存在していること自体に驚かされます。
現地に立つと、古代の権力、技術、そして膨大な人々の労力が、この巨大な遺構に刻まれていることを実感します。
石舞台古墳で感じた古代の技術
奈良では、石舞台古墳も見学しました。巨石を組み上げた石室を目の前にすると、写真では伝わらない迫力があります。誰が、どのような思いで、これほどの石を運び、積み上げたのか。古代の人々の技術力と執念に圧倒されました。
栄光だけではない、古事記の物語
オノゴロ島の伝承、仁徳陵、垂仁陵、神武陵、三輪山、宇治川。この地域を歩くと、古事記が語るヤマトの栄光だけでなく、王位をめぐる争い、敗れた人々の悲哀、忘れられた伝承にも目が向きます。
古事記には、華やかな神話や英雄譚だけではありません。滅び、譲り合い、失われていった人々の物語も描かれています。本書が示す「滅びの美学」ともいえる視点は、10年ぶりの再読でも、強く印象に残りました。
10年後に読み返して、見えてきたこと
「知る」旅から、「感じる」旅へ
10年前に読んだときは、古事記の世界を「知る」楽しさがありました。出雲、宗像、高千穂、宇佐、淡路、奈良。日本各地に神話の舞台があり、それぞれに異なる物語が残っている。そのことに驚き、もっと訪ねてみたいと思いました。
今回、10年ぶりに読み返して感じたのは、古事記を「知る」だけではなく、「感じる」ことの大切さです。実際に土地を訪れ、海を見て、山を歩き、神社の空気に触れ、古墳の大きさに驚く。その経験があるからこそ、書かれている言葉の奥にある、人々の祈りや恐れ、希望が少し見えてくるように思います。
神話の舞台は、今も日本に残っている
出雲大社で感じた荘厳さ。宗像から見た荒々しい日本海。宇佐神宮の広大で静かな境内。高千穂神楽に感じた祈りと神話の息づかい。宮崎の古墳群の圧倒的な規模。沼島の上立神石が見せる神秘。仁徳天皇陵古墳や石舞台古墳から伝わる古代国家の力。
『古事記を旅する』を再読しながら、それらの記憶がひとつにつながりました。
古事記は、1300年以上前に書かれた書物です。しかし、その舞台となった海、山、神社、古墳は、今も日本各地に残っています。地図の上で読むだけでも面白い。けれども、自分の足で訪ねた後に読み返すと、神話の世界はさらに深く、鮮やかに心に残ります。
書籍情報
| 書名 | 古事記を旅する |
| 著者 | 三浦佑之 |
| 出版社 | 文藝春秋 |
参考:過去の読書記録
・古事記を旅する(第一部) https://arpresa.jp/2012/08/23/20120823/
・古事記を旅する 第二部 https://arpresa.jp/2012/08/31/20120831/
・古事記を旅する 第三部 https://arpresa.jp/2012/08/30/20120830/
