黒柳徹子さんの著書『トットちゃんとトットちゃんたち』を読みました。
この本は、黒柳さんがユニセフ親善大使に就任した1984年から1996年までの13年間にわたる活動をまとめた記録です。
恥ずかしながら、黒柳さんがこれほど長い年月、世界の子供たちのために尽力してきたことを、私は深く知りませんでした。
この本を読んで、徹子さんの行動力と、子供たちに向けるまっすぐな気持ちに心を打たれました。
本書には、黒柳さんが訪れた国々で目にした厳しい現実が描かれています。
読み進めるうちに、胸が苦しくなるような悲惨な状況に何度も目を背けたくなりました。
無力な子供たちがなぜこんな目に遭わなければならないのか。
その理不尽さに押しつぶされそうになります。
しかし徹子さんは、それらの事実を淡々と伝えています。
「一人一人を助けることは難しい。けれど、事実を世界に伝えることで変わることがある」
そんな思いがひしひしと伝わってきました。
悲しみに共感し、涙を流すことを忘れない徹子さんの人柄にも強く心を動かされます。
年齢を重ねても、子供の頃の純粋さを失わない方だと思いました。
印象に残るのは、言葉が通じなくても子供たちに笑顔を届けようとする徹子さんの姿です。
歌や語り、声のトーンなど、さまざまな工夫で子供たちを笑顔にしようとする。
それは彼女にしかできない、特別な力だと感じます。
ユニセフ親善大使として、各国の首脳や現地の責任者に会い、問題の根本に触れながらも、すぐに解決できないもどかしさ。
それでも「子供を守りたい」という信念を持ち続ける徹子さんの強さに尊敬の念を抱きます。
紛争、自然災害、社会の構造…
さまざまな理由で傷つく子供たちの現実を前に、「平和をつくるのは政治の役割かもしれない」と考えさせられました。
また、日本との比較も印象的でした。
当たり前に水が飲め、冷蔵庫に食べ物があり、テレビを楽しむ日本の子供たち。
一方でアフリカの子供たちは食べ物がなく、衛生状態が悪く、売春やエイズにさらされる現実があります。
セルビアでは、地雷が人形や食べ物の形をしていて、子供を標的にするという非人道的な行為。
「人間はここまで残酷になれるのか」と背筋が凍りました。
「子供は食べ物だけでなく、愛にも飢えている」
という徹子さんの言葉が、とても深く胸に残りました。
物質的な支援だけでなく、心のケアがどれだけ大切かを改めて思います。
さらに、日本の子供の自殺と、難民キャンプの子供たちを比べた場面も強烈でした。
日本では、豊かで安全なはずの子供が命を絶ち、難民キャンプで極限状態にある子供は一人も自殺しないという現実。
「豊かさとは何か」を深く考えさせられます。
徹子さんは、無力感を抱えつつも決して絶望せず、世界中の子供たちに寄り添い続けます。
その強さと優しさに、心から敬意を表したいと思いました。
最後にとても素敵だと感じたのは、彼女が小さい頃に呼ばれていた「トットちゃん」という名前と、スワヒリ語で「子供」を意味する「トット」という言葉が重なった偶然です。
まるで運命のような縁を感じました。
この本は、「自分にできることは何か」「子供たちにどんな未来を残せるか」を考えさせてくれる大切な一冊だと思います。ぜひ、多くの方に読んでいただきたいです。
備忘します。
私は小さい時とっとちゃんと呼ばれていました。初めてユニセフの親善大使になってタンザニアに行った時、スワヒリ語で、子供のことをトットと言うのを知りました。こんな偶然があるでしょうか。私の小さいときの呼び名、アフリカでは子供という意味だなんて。表紙
ニジェールとは大河の中の大河という意味です。そのニジェール川は、全長4180キロメートルというアフリカ第3の大河だと、本で読みました。川幅800メートル。日本の代表的な川である信濃川の長さが367キロだそうです。ですからニジェール川がどれほど大きいかわかります。でも、その、とうとうと流れていた川の水が、長い間の干ばつのために、97.5%も、完全に仕上がってしまったのです。…干ばつと言うのは、こんなに恐ろしいのです。ページ63
それにしてもしてそれにしても干ばつは恐ろしいと思いました。川幅800メートルの20色側が、ほほとんど水がなくなって、まるで水たまりのように少し水が溜まって、後は道になったところを人々が歩いているのです。…もともとは、電気もガスもないので、お料理をするのに、木を切っていたことが、この渇水の原因なのです。ページ79
私がユニセフ親善大使を続けているのは、世界中の助けを必要としている子供たちのことを、1人でも多くの方に知っていただきたい、と言う気持ちからです。もちろん、私自身も、世界の子供のことを少しでも知りたい、と思っています。ページ163
ユヌス博士が1976年から1990年のたった14年の間に、30ドルの元手から、2億2000万ドルのお金を動かすまでになったのですから、このわずかな儲けが、どんな意味があるものか、お分かりになると思います。そして、一度、お金を手にすると、女性たちは、どんどん前進するのです。…たまたま私たちが訪れた村では、このグラミン銀行からお金を借りている女性たちが、集会を開いていました。これまで現金を手にしたことがない女性ばかりでした。女の集会に出ることを、夫が許すようになった、誰かに働きに行ったまま帰ってこなかった夫が村に戻ってきた、夫が子供の面倒を見るようになった。グラミン銀行から6回お金を借りて、家畜事業に成功したという女性は、嫁が一緒に暮らさないか、と言うようになったと喜んでいました。ページ177
(エチオピア)確かにここは戦場みたいな状態だし、難民の世話をする人も、いちいち子供に手をかけられません。診療所だって、次々に死にそうな子供たちが運ばれてくるのですから1人だけに優しくすることはできません。そうわかっていても、やはり不憫でした。いつも感じることですが、食べ物だけではないのです。愛にも、子供は飢えているのです。誰だって愛は欲しいのです。ページ225
日本に帰ってきた今だって、不思議な気がします。こうやって私たちは満ち足りた生活をしています。ちゃんとした水があって、食べるものも、いくらでも冷蔵庫にあり、テレビだって見ることができます。私は思わず、つぶやいていました。「神様、少し不公平じゃありませんか」ページ240
本当に、ユニセフ親善大使の仕事を与えていただいてよかったと思っています。もし、そうでなかったら、私は、こんなに世界の子供たちのことを知らないで、一生終わっていたでしょう。ページ260
ルワンダ教会は静かで、深としていて、時々鳥の鳴き声が聞こえてきます。でも私は、そこで虐殺が行われた時、どれだけの人々の断末魔の声や女性や泣き叫ぶ声がしたかと想像しました。逃げのびた子供も、その声を聞いたのです。そういうところに立って、怖くないですかとか、気味が悪くないかとか、すごい匂いがしませんか?というご質問を受けます。カンボジアの時も、そうでしたが、私はそういう風には思いませんでした。ただ、心から気の毒だ、という気持ちと、人間は、ここまで、人を憎めるものか、そういう恐ろしさで、そこに立っていた、というのが、本当の気持ちです。ページ264
(ルワンダ)私は、みんなを笑わせようと、いろんな声を出して、歌ってみました。でも子供たちは、少し笑うだけでした。ページ278
これも、後からわかったのですが、専門の方がおっしゃるには、この、私たちも怖がっていない態度が奏効したようです。もし、彼らを恐れている態度をとったら図に乗って、多分お金やカメラ、その他のものを略奪され、このことが外に漏れないように殺されていたかもしれなかったのだそうです。そして、私たちは行方不明で終わってしまったのです。今は平和が保たれてるといっても、本当は違うのだ、と、この事件は、私に、はっきりとユーゴスラビアの問題の深刻さを教えてくれました。ページ309
…この状況の中で、自殺をした子供は1人もいない、と聞いた。希望も何もない難民キャンプでも1人もいないと。私はほうぼうで聞いて歩いた。自殺した子はいませんか? 1人もいないです。私は骨が見えるくらい痩せて骸骨のようになりながらも、一生懸命に歩いている顔を見ながら1人で泣いた。日本では子供が自殺してるんです。大きい声で叫びたかった。こんな悲しいことが、あるでしょうか。豊かさとは何なの?ページ333
ユニセフが私に、この仕事をくださったことに感謝しています。もしそうじゃなかったら、私はこういう子供たちの存在すら知らずに、歳をとり死んでいったと思います。恐ろしいことでした。確かに、この仕事をしていなければ見なくてもいい悲しいことや、辛いことにも合わずに済みました。でも、一度、知ってしまったら、やめることができません。よく絶望しませんか?とお聞きになる方がいらっしゃいますが、私は絶望していません。ページ338
私が親善大使に選ばれたのは、UHCRの高等弁務官でいらっしゃる緒方貞子先生のおかげです。ユニセフのプラントさんは緒方先生と親しくて、アジアから誰か親善大使を推薦してほしい、と頼んでいらっしゃったそうです。緒方先生は私ではどうだろうか、と話してくださったそうですが、ちょうど「窓際のトットちゃん」の英語版が出版された時、偶然、グラントさんが日本にいらしたので、1冊、渡して下さいました。グランドさんは、一晩で読んで、グランドさんによると、東京中の本屋さんの間をかけ回って、手に入るだけ買ってニューヨークの本部の皆さんに読んでもらったそうです。そして「このくらい、子供のことをわかってくれる人だったら」ということで、私が任命される運びになったのが、いきさつなのです。ページ343