不穏な未来

ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』を読みました。

著者は別著『ホモ・デウス』で、人間、つまりホモ・サピエンスが、やがて超人「ホモ・デウス」へ向かう可能性を語っていました。

一方で、現在の人類の多くは家畜同然の存在になるかもしれない、とも感じさせる内容でした。

映画『マトリックス』のような世界です。

最初に読んだときの印象は、正直に言えば、

「そんなバカな!」でした。

しかし本書『サピエンス全史』を読み、現生人類の歴史をまったく新しい視点から眺めていくうちに、ある瞬間、突然納得してしまいました。

「現人類は、本当に家畜になるかもしれない」

そう思ったのです。

できれば、自分が生きているうちには見たくない未来です。

人類を強くした「虚構を信じる力」

本書で強く印象に残ったのは、人類の歴史を「進歩の物語」としてではなく、「虚構を信じる力によって世界を支配してきた物語」として描いている点です。

ホモ・サピエンスは、約7万年前から5万年前頃に起きたとされる「認知革命」によって、他の動物とは異なる能力を獲得しました。

それは、単に言葉を話す能力ではありません。

「ライオンがいる」と伝えるだけなら、他の動物にも近いことはできます。

しかしホモ・サピエンスは、

「ライオンは我が部族の守護霊である」

というように、実際には存在しないもの、つまり虚構について語り、それを仲間と共有する力を持ちました。

この力こそが、人類を地球上で最も強力な生物にしたのだと著者は述べます。

神話・国家・会社も「共有された物語」である

虚構を信じる力は、やがて大規模な協力を可能にしました。

噂話によってまとまれる集団の上限は、およそ150人程度だといわれます。

ところが、神話、宗教、国家、貨幣、会社といった共通の物語を信じることで、見知らぬ人同士が同じ目的のために協力できるようになりました。

有限責任会社も、国家も、貨幣も、実体として自然界に存在するものではありません。

しかし、多くの人がそれを信じることで、強大な力を持つようになります。

考えてみれば、株式会社も同じです。

紙の上の制度であり、法律上の人格です。

それでも、人を雇い、資金を集め、商品を作り、社会を動かすことができます。

これは人類の偉大な力であると同時に、少し恐ろしい力でもあります。

農業革命は本当に進歩だったのか

本書でもう一つ衝撃的だったのは、農業革命に対する見方です。

私たちは普通、農業の始まりを人類の進歩として考えます。

狩猟採集から農耕へ移り、安定して食料を得られるようになり、文明が生まれた。そう理解してきました。

しかし著者は、農業革命を「史上最大の詐欺」とまで言います。

農業によって食料の総量は増えました。

しかし、それは一人ひとりの生活を豊かにしたというより、人口爆発と支配階層の誕生をもたらしました。

平均的な農耕民は、狩猟採集民よりも長く働き、栄養状態も必ずしも良くなかった。

そして人類が小麦や稲を栽培化したのではなく、むしろ人類が小麦や稲に家畜化されたのだ、という視点には驚かされました。

たしかに、人間は麦や稲を増やすために森を切り開き、水を引き、腰を痛めながら働き、定住し、税を納めるようになりました。

種としての人類は増えましたが、個々の人間は本当に幸せになったのか。

この問いは簡単には答えられません。

種の繁栄と個体の幸福は一致しない

家畜化された動物の話も重く残りました。

牛や鶏や豚は、種として見れば大成功しています。

数は圧倒的に増えました。

しかし、個々の動物が幸福かといえば、まったく別の問題です。

狭い場所に閉じ込められ、短い生涯を人間の都合で終える動物たちを見れば、種の繁栄と個体の幸福は一致しないことがわかります。

これは人間にも当てはまるのではないか。

人口が増え、経済が成長し、便利な社会になった。

しかし、一人ひとりは本当に幸せになったのか。

この本は、そういう根本的な疑問を突きつけてきます。

人類をまとめてきた三つの秩序

著者は、貨幣、帝国、宗教を、人類を統合してきた三つの普遍的秩序として説明します。

貨幣は、最も効率的な相互信頼の制度です。

宗教は、人々に共通の価値観を与えます。

帝国は、多様な民族や文化を一つの秩序の中に組み込んできました。

そして近代になると、自由主義、共産主義、資本主義、国民主義といった思想も、ある意味では宗教と同じような役割を果たすようになります。

本人たちは宗教ではなくイデオロギーだと言うかもしれません。

しかし、人間を超えた秩序を信じ、それに基づいて価値観や行動を決めるという意味では、宗教に近いものだという指摘には考えさせられました。

資本主義も自由主義も「物語」の一つにすぎない

資本主義も、個人主義も、自由主義も、絶対的な真理ではない。

私たちが信じている物語の一つにすぎない。

そう言われると、自分が長年信じてきた価値観が、足元から崩されるような感覚になります。

科学革命以降、人類はさらに大きく変わりました。

近代経済を理解するために必要な言葉は、著者によれば「成長」です。

利益を再投資し、さらに利益を生み、その利益をまた再投資する。

この循環が資本主義を動かしてきました。

そして消費主義は、富める者には「投資せよ」、それ以外の人々には「買え」と命じます。

私たちはいつの間にか、成長し続けること、買い続けること、変わり続けることを当然のように受け入れています。

しかし、それもまた一つの物語なのです。

幸福とは何かという残酷な問い

本書の後半で特に考えさせられたのは、幸福についての考察です。

富は、ある程度までは幸福に結びつきます。

貧困から抜け出すことは、確かに幸福度を高めます。

しかし一定の水準を超えると、富の増加は幸福にあまり影響しなくなる。

幸福は、客観的な条件だけでは決まりません。

富、健康、社会的地位だけではなく、自分の期待との関係によって決まると著者は述べます。

さらに、幸福は突き詰めれば生化学的な現象にすぎないとも説明されます。

セロトニン、ドーパミン、オキシトシンといった物質によって、私たちの感情や満足感は左右される。

こう言い切られると、かなり悲しくなります。

努力も、成功も、愛情も、信念も、すべて脳内の化学反応なのか。そう思うと、人間の尊厳まで小さく見えてしまうようです。

淡々と語られるからこそ怖い

それでも、本書が怖いのは、著者が何か特定の価値観へ読者を誘導しているようには見えないことです。

歴史学者として、淡々と人類の歩みを記述している。

その冷静さが、むしろ怖いのです。

ホモ・サピエンスは、虚構を共有する力で世界を征服しました。

その結果、他の人類種を滅ぼし、多くの動植物を絶滅に追い込み、農作物や家畜を増やし、国家や宗教や企業を作り、科学と資本主義によって地球全体を変えてきました。

AIとバイオ技術の先にあるもの

そして今、バイオテクノロジーやAI、ナノテクノロジーによって、人間そのものを作り変える段階に入りつつあります。

やがてシンギュラリティに至れば、私たちが人間らしさだと思ってきたもの、社会の意味、人生の意味、アイデンティティーまでもが根本から変わってしまうかもしれません。

そのとき、ホモ・サピエンスは再び唯一の人類種ではなくなるのかもしれません。

『サピエンス全史』は単なる歴史書ではない

『サピエンス全史』は、単なる歴史の本ではありません。

人類とは何か。

文明とは何か。

幸福とは何か。

そして、私たちはどこへ向かっているのか。

そうした大きな問いを突きつけてくる本です。

読後感は決して明るくありません。

むしろ、信じていた価値観を次々となぎ倒されるような感覚があります。

それでも、若い人にはぜひ一読を勧めたいと思います。

これからの時代を生きるうえで、世界を別の角度から見る力が必要になるからです。

人類は本当に進歩してきたのか。

私たちは本当に自由なのか。

そして、未来の人類は人類のままでいられるのか。

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ホモサピエンスが新しい土地に到着するたびに、先住の人たちはたちまち滅び去った。ホモ・ソロシエンスの存在を示す遺物は、およそ5万年前に境に途絶えた。ホモ・デニソは、その後まもなく姿を消した。ネアンデルタール人が絶滅したの3万年前ほど前だ。最後の小人のような人類が、フローレンス島から消えたのが、約1万3千年前だった。彼らは数々のものを残していった。骨、や石器、私たちのDNAの中のいくつかの遺伝子、そして答えのない多くの疑問。彼ら私たちホモサピエンスという、最後の人類史もあとに遺した。…なぜ、強靭で、大きな脳を持ち、寒さに強いネアンデルタール人たちでさえ、私たちの猛攻撃を生き延びられなかったのか?  すなわち、ホモサピエンスが世界を征服できたのは、何よりもその比類なき言語のおかげではなかろうか。上巻ページ33

 このように7何万生何万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と、意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。その原因は何だったのか? それは定かではない。最も広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通したりすることが可能になったのだという。その変異のことを「知恵の樹の突然変異」と呼んでもいいかもしれない。上巻ページ36

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモサピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンは我が部族の守護霊だ」という能力を獲得した。虚構、すなわち架空の物事について語ることの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。上巻ページ39

 認知革命の結果、ホモサピエンスは噂話の助けを得て、より多くて安定した集団を形成した。だが噂話にも限界がある。社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の自然な大きさの上限がおよそ150であることがわかっている。ほとんどの人が、150人を超える人を親密に知ることも、それらの人について効果的に噂話をすることもできないのだ。上巻ページ42

 効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜならそのおかげで無数の見知らぬ人同士が力合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。上巻ページ48

 私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたとする主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命の遥か以前に、ホモサピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという芳しからぬ評判を持っているのだ。上巻ページ100

 人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量確かに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、よりよい余暇には結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は平均的な狩猟民族よりも苦労して働いたのに、見返りに得られた食べ物は劣っていた。農業革命は史上最大の詐欺だったのだ。 では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモサピエンスがそれを栽培化したのではなく、逆にホモサピエンスがそれらに家畜化されたのだ。上巻ページ107

 …羊飼いではなく羊たちの視点に立てば、家畜化された動物の大多数にとって、農業革命を恐ろしい大惨事だという印象は免れない。彼らの進化上の「成功」は無意味だ。絶滅の瀬戸際にある珍しい野生のサイの方が、肉汁たっぷりのステーキを人間が得るために小さな箱に押し込められ、太らされて短い生涯を終えるしよりも、おそらく満足してるだろう。満足しているサイは、自分が絶滅を待つ数少ない生き残りだからといって、その満足感に水を差されるわけではない。そして、牛という種の数の上での成功は、個々の牛が味わう苦しみにとっては何の慰めにもならない。ページ127

 農業革命以降の何千年もの人類史を理解しようと思えば、最終的に1つの疑問に行き着く。人類は大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らを同組織してそのようなネットワークを形成したか、だ。手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体系を考案することによって、となる。これら2つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ。上巻ページ170

 紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが3つ登場し、その信奉者たちは初めて1組の法則に支配された単一の手段として全世界と全人類を想像することができた。誰にも「私たち」になった。いや、すくなくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は、宗教で、仏教、キリスト教、イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。上巻ページ213

 私たちの目の前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されてはしない。この帝国は後期のローマとよく似て、他民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。世界中で、次第に多くの起業家、エンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参画するようにという呼びかけを受けている。これはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。上巻ページ216

近代には、自由主義や共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だがこれはただの言葉の綾に過ぎない。もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソビエト連邦の共産主義は、イスラム教徒に比べてなんら遜色のない宗教だった。下巻ページ32

 西暦1,500年頃、歴史は、それまでで最も重大な選択を行い、人類の運命だけではなく、おそらく日常のあらゆる生命の運命をも変えることになった。私たちはそれを科学革命と呼ぶ。それはヨーロッパ西部の、アフロ・ユーラシア大陸西端の、それまで歴史上重要な役割を果たしたことがなかった大きな半島で始まった。下巻ページ51

 産業が推進され、何百もの種が絶滅においやられた。その件については、すでに多数の書物が書かれている。だが経済の近代史を知るためには本当はたった一語を理解すれば済む。その一言すなわち、「成長」だ。良きにつけ悪しきにつけ、病める時も健やかなる時も、近代経済はホルモンの分泌が真っ盛りの時期を迎えているティーンエイジャーのごとく「成長」を遂げてきた。目についたものを手当たり次第に食い尽し、みるみるうちに肥え太ってきたのだ。下巻ページ127

 近代資本主義経済で、決定的に重要な役割をになったのは新しく登場した倫理観で、それに従うならば、利益は、生産に再投資されるべきなのだ。再投資が更になる利益をもたらし、その利益がまた生産に再投資されて新たな利益を生む、というようにこの循環は際限なく続いていく。下巻ページ136

 バイオテクノロジーやナノテクノロジーといった分野で新しい発見がなされれば、全く新しい産業がいくつも生まれるだろう。そしてそこからもたらせる利益が、政府や中央銀行が2008年以来発行してきた何兆ドルもの見せかけのお金を支えてくれるだろう。だが、もしバブルがはじける前に様々な研究室がこうした期待に応えることができなければ、私たちは非常に厳しい時代へと向かうことになる。下巻ページ140

 植物自体は、太陽からエネルギーを獲得していた。植物は光合成の過程で太陽エネルギーをとらえ、有機化合物に詰め込んだ。歴史を通して人々がやったことのほぼ全てが、植物が捕らえた後、筋肉の力に変換された太陽エネルギーを燃料としていた。下巻ページ165

 実は産業革命は、エネルギー変換における革命だった。この革命は、私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。あるいは、もっと正確に言うならば、唯一の限界は私たちの無知によって定められることを立証してきた。私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。下巻ページ169

 資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、2つの戒律が合わさったものだ。富めるものの至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。下巻ページ181

 このような想像上のコミュニティーの台頭を示す最も重要な例が2つある。国民と、消費者という部族だ。国民は、各国特有の想像上のコミュニティーであり、消費者部族は市場の想像上のコミュニティのことを言う。繰り返すがこれはどちらも想像上のコミュニティだ。というのも、市場のあらゆる顧客、あるいは国民の全成員が、かつて村人たちが互いに相手を知っていたように、実際に相手を知ることは不可能だからだ。下巻ページ197

 確信を持って語れる近代社会の唯一の特徴は、その絶え間ない変化だ。人々はこうした変化に慣れてしまい、私達のほとんどは、社会秩序とは柔軟で、意のままに設計したり、改良したりできるものであると考えている。下巻ページ201

 以上の4つの要因の間には、正のフィードバック・ループが形成されている。核兵器による大量虐殺の脅威は、平和主義を促進する。平和主義が広まると、戦争は影を潜め、交易が盛んになる。そして交易によって、平和の利益と戦争の代償ともに増大する。時の経過とともに、このフィードバック・ループは、戦争の歯止めをさらに生み出す。最終的にその歯止めは、あらゆる要因の中で最大の重要性を持つことになるかもしれない。国際関係が緊密になると、多くの国の独立性が弱まり、どこかの国の単独で戦争仕掛ける公算が低下するのだ。 大半の国が全面戦争を起こさないのは、ひとえに、もはや単独で国として成り立ち得ないという単純な理由による。下巻ページ212

 興味深い結論の1つは、富が実際に幸福をもたらすことだ。だがそれは、一定の水準までで、そこを超えると富は、ほとんど意味を持たない。経済階層の底辺から抜け出せない人々にとって、富の増大は幸福度の上昇を意味する。下巻ページ 220

 興味深い発見は、まだある。病気は短期的には幸福度を下落させるが、長期的な苦悩の種となるのは、それが悪化の一途をたどっており、継続的で心身ともに消耗させるような痛みをともなったりする場合に限られるという。下巻ページ221

 だが、何にも増して重要な発見は、幸福は客観的な条件、すなわち、富や健康、さらにはコミュニティにさえも、それほど左右されないということだ。幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。下巻ページ222

 私たちの精神的・感情的世界は何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されているという。ほかのあらゆる精神状態と同じく、主観的厚生も給与や社会的関係、あるいは政治的権利のような外部要因によって決まるのではない。そうではなく、神経やニューロン、シナプス、さらにはセロトニンやドーパミン、オキシトシンのようなさまざまな生化学物質からなる複雑なシステムによって決定される。下巻ページ226

 ただし、極めて大きな重要性を持つ歴史的な展開が1つだけ存在する。その展開とは、幸せの鍵は生化学システムの手中にあることがついに判明し、私たちは政治や社会改革、反乱やイデオロギーに無駄な時間を費やすのをやめ、人間を真の意味で幸せにできる唯一の方法、すなわち生化学的状態の操作に集中できるようになったことだ。下巻ページ231

 万物の霊長受称して自らをホモサピエンスと名付け、地球を支配するに至ったのか。それは多数の見知らぬ者同士が協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンスだけが見つけたからだ。と著者は言う。下巻ページ268

 サピエンスの歴史は、約1万年前に始まった農業革命で新たな局面を迎える。農耕によって単位面積当たりに暮らせる人の数が爆発的に増加し、かつて採集狩猟をしながら小集団で暮らしていたサピエンスは定住し、統合への道を歩み始める。 やがてその動きを早める原動力になったのが、貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)という3つの普遍的秩序だった。特にこれまで考案されたもののうちで、貨幣を最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだと著者は言う。下巻ページ269

 その結果、サピエンスはいずれ特異点(シンギュラリティ)に至る。それは私たちの世界に意義を与えているものの一切が、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティーの根本的な変化も起こる段階だ。そしてそれはサピエンスが再び唯一の人類種ではなくなる時代の幕開けかもしれない。下巻ページ272

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