ヤマトタケルの日本史 女になった英雄たち』(井上章一著)**をご紹介します。

この本を手に取った理由は単純で、「ヤマトタケル」というタイトルに惹かれたからです。ヤマトタケルという英雄に関心があり、いずれ深く研究してみたいと思っていたので、迷わず購入しました。
ところが読み進めていくと、この本の主題は実にユニークでした。日本史における“女装”というテーマに特化し、それをヤマトタケルを中心に400ページ近くのボリュームで論じた非常にマニアックな内容だったのです。

英雄と女装 ― 違和感のなさに驚く
ヤマトタケルが女装して敵地に潜入し、奇襲を成功させるエピソードは『古事記』や『日本書紀』に記されています。本書ではその女装の描写を出発点に、神話から戦国時代、果ては太平洋戦争中の軍隊に至るまで、日本社会における「女装」と「英雄」の関係を丹念に追っています。
たとえば、**大岡昇平の『俘虜記』**に描かれる捕虜たちの演芸会での女装劇や、**戦時中の日本軍に存在した“女装戦隊”**など、近現代の事例も交えながら、女装と男性性の曖昧さ、そしてその文化的寛容性に焦点を当てています。
西洋の価値観では、女装して敵を欺く行為は「卑怯」とされ、英雄像にはそぐわないとされがちです。しかし日本においては、少なくとも20世紀以前までは性的マイノリティや女装に対して比較的寛容だったことが、この本を通じてよくわかりました。

記紀や軍記物語にみる女装の演出
本書では、多くの文献を引きながら、日本神話や軍記物語における“女の姿”の演出がどのように変遷してきたかを考察しています。たとえば:

室町時代の文化は牛若丸を女装・男色の象徴として造形していった(p.35)

川上タケルには少年愛の傾向もあり、女装の少年に戯れる様子も読み取れる(p.81)

スサノオクシナダヒメに変身したという新解釈(p.199)

スサノオの“ハニートラップ”伝説が平家物語以降の文学で定着(p.202)

これらは、歴史的な人物像や神話的人物像が、時代ごとの価値観や表現によって巧みに変容してきたことを示しています。

英雄像の再定義
印象的だったのは、日本の研究者たちはヤマトタケルの女装譚を「英雄の汚点」とは考えていないという点(p.89)。むしろ、女になって敵を欺く英雄像が、喝采を浴びてきたという文化的背景を、この本は丹念に掘り下げています。
私自身、古事記を読んでいた影響もあってか、ヤマトタケルの女装エピソードにはそれほど違和感を抱きませんでした。むしろ、英雄の“柔らかさ”や“戦略性”を表す一面として興味深く読めました。

まとめ
この本を通して見えてきたのは、日本における英雄と性の表象の多様さです。スサノオヤマトタケルのような神話的人物から、近代における軍事や文学のなかでの女装の扱いにいたるまで、**「なぜ日本人は、女装の英雄を違和感なく受け入れてきたのか?」**という問いに、豊富な資料と深い考察で迫った一冊でした。
非常にニッチでありながら、視点を広げてくれる一書。
ヤマトタケルや日本神話に関心がある方にはもちろん、性の表象に興味のある方にもおすすめしたい本です。
備忘します。

室町文化は、牛若を男色文化の花形へと作り替えていく。この時代が浮上させたのは、女装者としてのキャラクターだけに限らない。男色方面でも、新しい人物造形は施されていくのである。ページ35
川上タケルには、少年愛の性癖もあった。だから男だと気がついた後も、女装の似合う少年に戯れ続ける。日本書紀が書き切っているわけではない。ただ以上のように読み込み余地は充分ある。ページ81
結局、日本の研究者たちはヤマトタケルの女装譚を、嫌っていない。英雄として語り継がれるにふさわしくない逸話だと、強く思っていなかった。女装での騙し打ちが、英雄の名を汚す汚点になるとは、考えなかったのである。ページ89
古事記は、神武天皇や神宮皇后の叙述に、神威の直接的な描写を組み込んでいた。しかし、ヤマトタケルの女装に関しては、全くそれが見当たらない。だから、おのずと判断せざるを得なくなる。この件で、古事記は霊験を読者へ訴えることなど、狙ってはいなかった。手に汗に握る波乱の物語をこそ、そこに描きたかったのだ、と。ページ124
記紀を読む限り、ヤマタノオロチは女の鏡像になど、惑わされていない。スサノオとの対決では、ただ酒に溺れただけである。しかし、後世の軍記は、酒を飲ませる手だとして、美女像の投影譚を追加した。酒での失敗談へ、女色の罠という話をそえている。そして、以後の文芸世界はその方向へ傾斜した。こちらの方が、民族的に好まれたようである。ページ194

クシナダヒメを立ちながら櫛にかえたのではない。スサノオは、たちどころにクシナダヒメとなった。さらに櫛も作っている。ここは、そう読むべきところだと、論者は力説した。この読みを信じれば、スサノオは女へ変身したことになる。クシナダヒメになったというのだから、そう解釈するしかない。ページ199
もう一度、述べる。スサノオは、ヤマタノオロチにハニートラップを仕掛けたと、言われてきた。美女の形象を使って、敵を葬り去る。そんな物語が平家物語以後、繰り返されている。言葉を変えれば、江戸時代より前から色仕掛けと成敗の伝説はできていた。ページ202
いずれにせよ、日本では女装の英雄像が喝采を浴びてきた。女になりすまして敵を誘惑する。見惚れて自制心のなくなった相手を、あやめてしまう。そんなヒーローが、様々な物語でもてはやされてきた。この本で私が述べたのは、そのべ歴史的な系譜と見取り図である。ページ329

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