
勝つことはできても、勝ち続けることはとても難しい。
売れない日もあるし、努力を続けても「これは無駄な努力なのかな」と思う日もある。今の私の状態に照らし合わせて、この本にとても励まされました。
『勝ち続ける意志力』(梅原大吾、小学館101新書、2012年)
■どんな本か
著者の梅原大吾さんは、日本で初めてプロになったゲーマーです。10代で格闘ゲームの世界チャンピオンになり、ギネスブックに名前が載るほどの実績を残しています。
ただ、その道はまっすぐではありません。ゲームから離れて麻雀の世界に入り、3年ほどでかなりいいところまで行って名前も知られるようになりました。しかし、麻雀は人に恨みを残す勝負で、その頃は毎晩歯ぎしりをしていたそうです。
そんな仕事は嫌だと麻雀をやめ、介護の仕事を始めます。介護施設では、意思の通じにくいお年寄りも多いなかで「ありがとう」と言われ、気持ちがとても落ち着いたと書かれています。
そして5年ほどのブランクのあと、もう一度ゲームに挑戦し、再び世界チャンピオンになりました。
本の中心にあるのは、「勝つこと」ではなく「勝ち続けること」です。結果を求めて頑張るのではなく、続けている毎日の中に満足感や生きる意味が見つかる。だから続けなさい、努力を続けなさい、という本です。
■私の感想
この本は、古本屋さんの棚から手に取って、パラパラ見て「これはいい本だな」と思って買いました。
帰りの電車で少し読み始めたら止まらなくなり、そのまま一気に読んでしまいました。それくらい面白い本でした。
読んでいて心に残ったのは、ご両親の喜び方です。
世界チャンピオンになったことももちろん喜んだのでしょうが、お父さんがまず喜んだのは、定職のなかった息子が介護施設で働き始めたときだったそうです。
そしてもう一つが、ギネスブックに載ったとき。親が子どもの何を喜ぶのか、考えさせられました。
もう一つ驚いたのは、その後の梅原さんです。
この本は2012年、梅原さんが30歳ぐらいのときに書かれた本です。
ゲーマーは反射神経が大事なので、ピークは22歳ぐらいと言われているそうです。
梅原さんはもう40代半ばのはずですが、調べてみると2022年にも優勝し、今年2026年も国内の大会で優勝しているようです。
若い人がやるものだと思われている世界で、この本に書いてあるとおりのことを続けて、今も現役でバリバリやっている。
本当に驚きました。
私の仕事も、売れない日があります。努力を続けても、無駄な努力をしているのかなと思うことも多いです。
でもこの本は、結果のために頑張るのではなく、続けている最中に満足感や生きる意味が見つかるのだから、続けなさいと教えてくれます。
今日も明日も、適度に頑張って続けていこう。そう思える一冊でした。
以下、備忘します。
勝つことに集中している人間は勝ち続けることができないということなのだが、この一言で「なるほど、そうか」と膝を打ててしまう人が大勢いるようなら、そもそも僕がこのような本を書く必要はなかっただろう。現実においては、勝ち続ける人間、結果を出し続ける人間は極めて稀なのである。勝てるかと問われて頷くことはできても、勝ち続けられるかと問われると返答に窮するのが普通だろう。 (p.14)
手を抜かず徹底的に追求することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。もちろん、苦手なこともたくさんあった。初対面の人とはうまく話せないし、勉強も好きではない。本気で運動に打ち込んだ人と比べれば、気がつくと足は遅くなり、力も弱くなっていた。 (p.52)
99.9%の人間は勝ち続けられない。自分の言葉ながら大げさだとは思うが、勝ち続けるのはそれくらい難しい。人と人との戦いにおいて、勝敗は微妙なバランスで決まる。生まれつきの頭脳や理解力、運動神経や反射神経も関係してくるだろうが、ことゲームの世界に関して大方の勝負は努力の量、そのときの精神状態やモチベーションの高さで決まることも多い。つまり、勝敗を決する彼我の力の差というのは、ごくごくわずかだということだ。 (p.54)
勝ち続けるためには、勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという微妙な精神状態を保つことで、バランスを崩さず真摯にゲームと向き合い続ける必要がある。バランスを保つ方法は人それぞれだと思うが、僕は、自分も人間だし相手も人間であるという事実を忘れないようにすることが、バランスを崩さないことだと考えている。つまり、自分にも相手にも特別なことは何もないということだ。 (p.57)
それでは10の強さは手にできるが、そこが行き止まりだ。10とは一般的な努力で到達できる最高点ということだ。僕は10の人間に勝つために頑張っている。そんな僕が10では意味がない。だから、時間がかかっても馬鹿にされても、11、12、13の強さを目指す。 (p.64)
ビジネスの世界で言えば、改良点を生み出し続けるエネルギーとか、今まで商品化されていなかったが確実にニーズがあるものを形にし続けるアイデア力とか、誰もが気がつかない隙間を突くようなマーケティング方法を開発し続ける力の方が、過去に一度だけ生み出した商品・戦略そのものよりも価値があるのではないだろうか。 (p.77)
しかし、多くの人は、変わることと前へ進むことは別だと思っているだろう。確かに自分を変えることは不安だし、変化した先に勝利があるとは限らない。けれども、変わり続けていれば必ず前へ進める。変化したことで失敗したり、後ろに下がったりしたときは、もう一度変化すればいい。失敗に気づいて変化すれば、以前の自分よりも必ず高い位置に行ける。 (p.83)
しかし、やはりセオリーに頼りすぎるのは良くない。セオリーは決して絶対の理論ではないからだ。確立された時点で「はい終わり」というわけにはいかない。仮にセオリーだけに頼って不調に陥った場合、そこから抜け出すのは容易ではない。だから、セオリーは進化させる必要がある。 (p.93)
自分を変えるとき、変化するためのコツは、そうすることで良くなるかどうかまで考えないということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。とにかく、大事なのは変わり続けることだ。 (p.99)
勝負の世界において、人の目を気にすることはマイナスでしかない。なぜなら、人の目を気にしていると、本来やるべき行動を継続できないからだ。若い頃は、諦めなければ結果が出ると想っていた。今は、諦めずにやっても結果が出るとは限らないことを知っている。どこに目線を置き、何をもって結果とするかにもよるが、そう簡単に欲しいものは手に入らないことが明確に分かっている。 (p.107)
真っ暗で何も見えない。だけど、この先に必ず道がある。そういった確信がないと、前へは進めない。自分の考えは正しいはずだ。まだ誰も歩いていない道だが、この道を歩き続ければ人よりもきっと遠くへ行ける。人よりも強くなりたいのであれば、自分を信じて、不安を打ち消しながら進むしかない。駄目かもしれないという不安に負けてしまうと、一瞬で道に迷い、足元がおぼつかなくて立っていることすらままならなくなる。 (p.114)
人から感謝されるのは新鮮だったし、ありがとうと言われると嬉しかった。また、体を動かす仕事をしていると、自信と気持ちが明るくなった。仕事を終えて家に帰り、一人缶ビールを開けると、疲れてはいるが今日は一日よく働いたなと実感できた。勝負や競い合いもないので、それまで張り詰めていた神経も程よく緩んでいった。ちなみに麻雀をやっていたときの僕は、毎晩歯ぎしりをしていたらしい。 (p.156)
自分を痛めつけていると、努力しているような気になる。しかし、そんな努力からは痛みと傷以外の何も生まれてこない。 (p.185)
誰にも負けないくらいやり込んできたという自信があれば、どんな相手にも気持ちで負けることはない。しかし、賞金目当てで頑張ってきた人間の気持ちは驚くほど弱い。そのことに気づいたので、目的を見誤ってはいけないと実感した。 (p.189)
今日も明日も明後日も、適度な頑張りをすることで毎日心地よく過ごす。僕の場合は、そんな毎日を続けていることでゲームの成績も良くなり、自分自身の成長を感じられるようにもなった。何かを目標にある一定の時期だけ頑張っていると、目標がすべてになってしまう。そして目標を達成できなかったときに、立ち直れなくなってしまう。 (p.213)
新しいものを否定しないこと、そして新しいものから素直に学ぶ姿勢を忘れないこと。年齢を重ね経験を積み、ある程度のポジションを手にすると、実際にその二つを心がけるのがいかに難しいかが分かる。年齢や経験を重ねるほど、どうしても自分の都合で物事を考えようとしてしまう。以前はこうだった、これが常識だ、そんなことはあり得ない、などといった既成概念に縛られ、偏見や固定観念を捨てられない。 (p.238)
僕にとって生きることは、チャレンジし続けること、成長し続けることだ。成長を諦めて惰性で過ごす姿は、生きているとは、生き生きとしているとは言えない。常にチャレンジして、たくさん失敗すればいいと思う。ときにはどん底を味わうような苦い経験もするだろうが、とりわけ若いうちはいくらでも取り返せる。若い頃は気力も充実しているし体力もあるから、きっと立ち直れる。もちろん、年を取ったら失敗できないなんてことはない。若いうちに失敗した方がいいのではなく、若いうちから失敗した方がいいというだけだ。僕はどんどん失敗したいと思っている。5年後、10年後もチャレンジと失敗を繰り返していたいと思う。 (p.247)
運に頼る人間は勝ち続けられない。その真実に気がついた。勝ち続ける人間は、運が悪くても勝てる道を追求し続けている人間だ。言わば運に頼らない覚悟を持っていると言ってもいいだろう。運・不運なんて関係ない、そう断言できるようになった者のみが、運・不運すら超える真理への領域へと踏み込んでいくことができる。 (p.252)
