10年前に出会った「忘れられた日本人」
そして今回、新たに細野義彦氏による『宮本常一忘れられた日本人を読む』を手にしました。この本は、宮本常一の記録を丁寧に読み解き、歴史・民族学の背景と共に再解釈する解説書です。
例えば「夜這い」の問題。柳田国男が「自由恋愛から婚姻へ」と語ったのに対し、宮本はもっと生活に根ざした、女性たちの声を拾い上げて記述していました。細野氏の解説を読むことで、その視点の鋭さ、そして権力者の視線ではなく、民衆の「生」の声を伝えようとした宮本の姿勢がより鮮明になります。
また、西と東の伝承の違い ― 西日本では村全体で語り継がれ、東日本では家ごとに伝えられる ― といった指摘も、民族学の一断片にとどまらず、日本文化の成り立ちに深く関わるものであると気づかされました。
「進歩」と「退歩」を見つめるまなざし
宮本が最後に問いかけた「進歩とは何か」。細野氏の解説を経て改めて読むと、単なる昔話の記録にとどまらず、現代社会への強烈な批判であることがわかります。進歩の影に退歩を見抜くことこそ、人間社会に課せられた課題である、 この言葉は、急速に変化する現代にも重く響きます。
10年前には「人の悲しさ」を強く感じましたが、今回は「人の強さ」や「共同体の知恵」にも目が向きました。冷却期間を置いて意見を交わす村の寄り合いの仕組み、誰もが多様な技術を身につけて生きる百姓の姿。忘れられたのは単なる「昔の人々」ではなく、むしろ現代にとって必要な「生きる知恵」なのではないかと感じます。
おわりに
『忘れられた日本人』を再び読み直すと同時に、細野義彦氏の解説書を通じて、10年前の自分と今の自分の感受性の違いに気づきました。
人間は悲しさを抱えながらも、時にしなやかに、時にしたたかに生きてきた。その記録に触れることは、自分がどこから来て、どこへ向かうのかを考えるきっかけになります。
宮本常一が遺した言葉と、細野義彦氏の読み解きを重ねて、これからも折に触れて読み返したいと思います。
備忘します。
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旧4月22日に会式があって、この夜は男女ともに誰と寝てもよかった。そこでこの近所の人は太子の一夜ボボといってずいぶんたくさんの人が出かけた。ページ61
女性の仕草で、この絵に描かれているのは寝ている姿ですが、中世の絵巻の全体を通してみると、縦膝の女性が非常に多いのです。縦膝は現在の朝鮮半島の女性の正式な座り方のなのですが、現在の日本の女性の正式な座り方とされている正座はむしろ新しいので、縦膝が古い時期の女性の普通の座り方だったことが、この絵引を見るとよくわかります。ページ66
よくおとぎや説話の中に、子供が生まれないので7日間、清水寺などの寺社に参籠したところ、子供を授かったので大事に育てたら、優れた資質を持った子供で、成長して大変立派になったという話が出てきますが、こういう参籠の実態を考えると、これは実際にそこで男女の交渉があって、子供が生まれた事実を背景にして作られている説ではないかと考えられます。ページ67
日本とヨーロッパの種族の違いとしては、「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。ときには妻が夫に氷で貸し付ける。」とあります。ページ85
宮本さんの強調をしておられるのは、こうした縦の主従関係が東日本に見られるのに対して、寄り合い・一揆のような横の組織は、西日本に発達するということだと思います。ページ118
結局、伝承を伝えるのは男性になる、つまり伝承を伝えるのは東は女、西は男という捉え方で東と西を対象させているのです。ページ119
ここに見慣れない地図、環日本海諸国図を掲げます。富山県が作った地図で、日本列島をひっくり返しただけなのです。しかし日本は島国で周辺から孤立しているという、今でもなんとなく我々がそう思いがちな見方、そこから島国根性や島国だから他の国の人には日本文化は分かりにくいなどの常識が生まれてくる、孤立した島国というイメージを払拭する解毒剤としてこの地図は大変有効だと思います。例えばサハリンとアジア大陸との近さについては、我々はあまり意識していませんが、冬になると凍結して、人が渡れるほどの狭さだと言われています。この地図を見るとそのことがよくわかります。ページ135
…被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだという捉え方をする人たちが実際に関西では少なからずあったと思います。…これに対してとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人々の方が朝鮮半島の人にそっくりで、差別されている被差別部落の人々は、東日本人、東北北陸型の人々とむしろ形質上よく似ているとされています。被差別部落の人々が朝鮮半島から来たなどという事は全くの誤りだと強調されているのです。ページ138
忘れられた日本人を読むとよくわかりますが、百姓といわれている人は、いろいろなことができる人なのですね。石垣も作れる、もちろん大工もできる、網打ちもできる等、様々な技術を皆身に付けています。表向きは農民といわれていても、実際はそういう多様な技術を持っているのです。ページ221
夜這いの問題は、若者の性の自由と婚姻制、また年齢集団に関わって重要で、柳田国男も夜這いを取り上げたが、自由恋愛から両性合意の元でも婚姻へと繋げた柳田に対して、赤松は目線をずっと低くして女性たちのエロ話に耳を傾け、夜ばいの実態を記述して、柳田民族学の支配階級的な一面性と偽善性を通撃した。ページ241
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