妖怪と聞いて、まず思い浮かぶのは 水木しげる である。
私の中の妖怪像は、間違いなく彼の絵画や漫画によって形づくられてきた。
「そんなものは非科学的だ」と一言で切り捨てる態度を、水木しげるは軽やかに、しかし決定的に裏返してくれた存在だった。
本書を読み進めるうちに、柳田国男 や 南方熊楠 といった知の巨人たちも、妖怪という得体の知れない存在と真剣に格闘してきたことが腑に落ちた。
妖怪とは単なる「迷信」ではなく、人間と社会を映す鏡だったのだ。
ぬりかべと戦争体験
とりわけ印象深かったのは、『鬼太郎』にも登場する「ぬりかべ」が、太平洋戦争の極限状況において水木しげるを助けたというエピソードである。
妖怪は恐怖の象徴であると同時に、人を守る存在にもなりうる――その両義性こそが妖怪文化の核心なのだろう。
現代作品と妖怪の連続性
また、現代の人気作品である 鬼滅の刃 に描かれる鬼のイメージも、突飛な創作ではなく、古代から連綿と続く妖怪観や百鬼夜行の系譜の上に成り立っていることが理解できた。
現代の物語は、決して過去と断絶していない。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
本書では有名な川柳「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を手がかりに、近代的合理主義と前近代的信仰知の違いが説明される。
現代人は、日常に起こる不思議な現象を霊的存在と結びつけてはいけない、と教え込まれてきた。
不思議に思わないよう“訓練”され、道具的知識を身につけてきたとも言える。
一方、かつての社会では、世界を理解するために信仰的知識が大きな役割を果たしていた。
この差異を読み解くには、エティック(外部視点)とエミック(内部視点)の両方が不可欠である、という指摘は、人文社会科学全体に通じる重要な視点だと感じた。
憑きものと社会
「憑きもの」という概念の整理も非常に示唆的だった。
人や物に「憑く」ことができる存在はすべて憑きものであり、その状態を憑霊現象と呼ぶ。
そこには個人の問題だけでなく、社会的・歴史的背景が色濃く反映される。
出雲の狐持ちの事例が示すように、妖怪や憑きものは、時に新興勢力への排斥や差別を正当化するための「共同幻想」として機能してきた。
これは妖怪研究が、単なる文化史ではなく、差別や権力構造の問題とも深く結びついていることを示している。
鬼・天狗・山姥という装置
柳田国男は、妖怪を「神の零落したもの」と捉え、人間の畏怖や恐怖と結びつけて理解した。
鬼は、日本人が思い描いてきた「人間の否定形」、すなわち反社会的・反道徳的存在として造形された概念である、という指摘は非常に腑に落ちる。
天狗と山姥は、山という境界領域に生じる怪異の説明装置であり、
天狗は男社会・父性の象徴、山姥は女社会・母性の象徴として語られてきた。
妖怪は、自然と社会、男性と女性、生と死といった境界を可視化する存在なのだ。
境界に生きるイメージ
異人、山奥の村、人柱の伝承――これらに共通するのは「境界」である。
境界は、日常生活に収まりきらないイメージが仮託され、生成と変形を繰り返す場所だ。
生から死への境界としての葬送儀礼や賽の河原のイメージも、その延長線上にある。
異界は、遠くない
本書を読み終えて、人智の及ばない存在や異界のことが、以前よりずっと親しく感じられるようになった。
妖怪とは、非合理な迷信ではなく、人間が世界を理解し、恐れ、折り合いをつけてきた知恵の集積なのだ。
合理主義の時代に生きる私たちにとっても、妖怪は決して過去の遺物ではない。
むしろ、見えないものを見ようとする想像力を取り戻すための、重要な入口なのだと感じた。
備忘します。
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「幽霊の正体見たり枯れお花」という有名な川柳を使って説明してみよう。ページ34
現代では日ごろから、日常生活の中に生じる様々な現象を霊的存在力に結びつけて説明してはいけない、そう考える事は非科学的なことだという、近代の科学合理主義的な教育を受けてきた。ときには不思議に思うことでも、不思議に思わないよう慣らされてている。いわば道具的知識を身に付けている。しかし、昔は相対的に信仰的知識で説明しようという傾向が強かったようである。ページ36
つまり人間文化研究、人文社会科学的研究には、エティックとエミックの双方からの研究が必要なのである。ページ39
広義ではそれらが全て「憑きもの」であるということができる。文字通りに解すれば、憑くことができるものは全て憑きものと言うことができる。人や物に乗り移ると言う属性を持った霊はすべて「憑きもの」なのである。そして何かに憑いている状態にある霊を憑霊と言い、そのような状態を憑霊現象と言う。ページ57
…出雲の狐持ちは、近世中後期の貨幣制度の浸透によって、それを背景にして新興成金化した地主層に対してなされた阻害排斥の手段として作り出された新たな共同幻想であろう。そして、その余韻がいわれなき中傷差別として新興成金の子孫にまでを及んでいる事は問題であり、言うまでもなく撲滅しなければならないのも確かであろう。ページ70
天命6年に、…ある子作人がたくさんの田畑と預かっていながらも年貢を収めないので、地主が怒り、人をやって、その小作人の家を差し押さえてしまった。これを遺恨に思った小作人は、祈祷師と共謀し、自分の家の病人を「狐憑き」と称し、その狐は地主の家に飼われている狐だと言い触らして、地主を脅し、たくさんの財物をせしめたと言う。ページ81
信仰において極めて重要な局面は、この宣託であろう。この宣託の内容に耳を傾ける時、憑かれているものやその家族親族とそれを取り囲むマクロな社会的、歴史的状況が明らかになってくる。そればかりでなく、その社会の人々の作られた「過去」も浮かび上がってくるのである。ページ83
妖怪を定義するのは難しい。しかし、あれこれ考えるよりも、ここはまず文字通りに理解して、怪しいものや怪しいこと、つまり怪異というふうに理解しておくのが無難である。ページ87
「化物」とほぼ同じ意味で流通してきた語に「百鬼夜行」と言う語もあった。これは平安時代の貴族社会から生まれてきた語で、当時は、都大路を群れを成して徘徊する鬼を意味していたが、中世になると、鬼とはいえない異形のものもその中に混じりだし、江戸時代には、たくさんの化物を意味するようになっていった。ページ90
…合理主義の観点から現代人は否定するにせよ、近代以前の人々が妖怪の実在を信じていたならば、その妖怪の変遷をたどる研究も歴史学的には意義がある、と言うわけである。尤も彼の妖怪感は井上よりもはるかに狭い。ページ96
柳田は妖怪研究において、次の3点を強調した。第一に、全国各地の妖怪種目の採取をする、第二に、妖怪は場所に出るのに対して、幽霊は人を目指して出るといった区別がある。第3に、妖怪は神の零落したものである。実際、民族学的妖怪研究は長くこの指針に沿ってなされてきたのであった。ページ97
人の奥底にある畏怖、恐怖が妖怪を生み出すというこの視点は、極めて重要な指摘であり、おそらく今日でも十分に通用する考え方であろう。…零落した神々と恐怖感情が融合することで妖怪が生じると言うわけである。ページ98
こうした現代人が普通に思い描く鬼の意味とイメージを、私なりに言い直すと、鬼とは、日本人が抱く人間の否定形、つまり反社会的反道徳的人間として造形された概念イメージと言うことになる。すなわち、人間と言う概念を成立させるために、鬼と言う概念がその反対概念として作り出されたのである。ページ133
古代においては鍛冶集団は、安産の呪術を持つと信じられていた。狼も又安産の守り神であるから鍛冶屋の老婆と狼を同一視する伝説が生じた。ページ146
天狗も山姥も広く知られた妖怪種目である。山の怪異を語るときには欠くことのできないキャラクターだと言っても過言ではないだろう。ページ155
こうした怪異の説明としての、天狗伝承を背後から支えているのが、昔話の中の天狗のイメージや、山でたまたま天狗に遭遇したと言う世間話、あるいは天狗にまつわる伝説である。ページ167
山姥はまた、天狗と同様、民族社会でも伝承されている妖怪である。民族社会の山姥は山女郎とか山姫などとも言われ、その夫は鬼もしくは山男、山爺などと語られている。ページ170
日本の妖怪の代表とも言える天狗と山姥は、山の怪異の説明装置として伝承されてきたものである。極めて単純化して言えば、天狗は父もしくは男社会のシンボルであり、他方の山姥は母もしくは女社会のシンボルであった。ページ178
柳田は「妖怪講義」において、幽霊は定められた時に、特定の相手を目指して出現するのに対し、妖怪は特定の場所に出現し相手を選ばない、と言うふうに規定を試みた、しかしこうした分類は、幽霊妖怪の種類の事例を集めてみればわかるように、誤った分類であった。ページ181
まず幽霊は、死者の霊が生前の姿であられることが基本条件の1つになっている。キャラクター化された幽霊は、棺桶に収められたときの姿で描かれているが、世間で語られる幽霊を見たと言う話では、生きていた時とほとんど同じ姿形で現れるページ185
…つまり幽霊は憎いと言っては出現し、かわいそうだと言っては出現し、好きだと言っては出現するわけである。ページ189
異人とは一言で言えば境界の向こう側の世界に属するとみなされる人のことである。異人がこちら側の世界に現れた時、こちら側の人々にとって具体的な問題となる。つまり異人とは相対的概念であり、関係概念なのである。ページ201
…山中で迷った僧が山奥の村に招き入れられる。…この僧をご馳走攻めにし、さらに娘を当てがって孕ませる。しばらくの間その娘と夫婦として過ごしていたら、ある時、妻の様子がおかしくなり、しかも1日に何度も食事を出して男は太っているのは良いと言う。不思議に思ってわけを聞くと、この国の神はいけにえを食うので年に1度村人が順番に1人のいけにえを差し出すことになっている。今年は私が差し出されることになっていたが、あなたがやってきてくれたので身代わりにしようと言うことになったのですと言う。ページ208
しかしながらほぼ同じ頃に、南方は日本を始め世界各地の事例を紹介した人柱の話において、「こんなことが外国に聞こえて大きな国辱という人もあらんかなど、そんな国辱はどの国にもある」と言い放って、人柱が実際に行われていたことを当然のこととして記述している。ページ210
…境界には日常生活の現実に収まりきらないが、人が密かに培養することを発する様々なイメージが仮託されてきた。これらのイメージは、日常生活を構成する見慣れた記号と比べ、絶えず発生し、変形を行う状態にあるので生き生きとしている。ページ224
境界の場所に対して、境界の時を想定することができる。既に指摘したように、その最も重要な時は生から死への境界である。そのような境界の時の典型的な象徴的表現が、葬送儀礼であり賽の河原であり、それを表徴するために、空間の中に葬送の場所や賽の河原が設定されたりした。ページ232
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