『気候変動と日本人20万年史』を読みました。
人間が気候に与える影響の拡大
本書を通して強く感じたのは、時代を経るごとに人間が気候に与える影響が急激に大きくなってきたという事実である。
オーストラリアの草原が、自然ではなく人間の焼畑的営みの結果だという指摘は象徴的だ。
地球はもともと温暖化と寒冷化を繰り返してきた存在であり、全球凍結のような極端な変動さえ経験している。問題は、その変化の原因と速度に、いま人類自身が深く関わっている点にある。
たった2℃が文明を崩壊させる
本書で繰り返し語られるのは、気温がわずか2℃変化するだけで、飢饉が起こり、文明が崩壊し得るという現実だ。
日本においても、縄文時代から中世に至るまで、社会の盛衰は常に気候の影響を受けてきた。
水田は、日本の気候条件では水の蒸発量が降雨量を上回りやすく、少し条件が変わるだけで畑に変わってしまう。食料生産がいかに不安定な基盤の上にあるかを、改めて思い知らされる。
三内丸山遺跡が示す「後退」という選択
三内丸山遺跡の興隆と崩壊は、とりわけ印象深い。
気候最適期に栄えた大規模集落は、約4200年前の寒冷化によって栗の半栽培が不可能となり、人々は集落を捨て、再び狩猟採集的な生活へ戻った可能性が高いという。
人類は常に進歩し続けてきたわけではない。
生き延びるために、後退するという選択もしてきたのだ。
絶滅寸前だったホモ・サピエンス
遺伝子研究によれば、約7万年前、ホモ・サピエンスの総人口は最大でも1万5千人ほどまで減少し、絶滅寸前に追い込まれていたという。
現代の人類の繁栄は必然ではない。
いくつもの偶然と危機回避の積み重ねの上に成り立つ、きわめて不安定な結果であることがわかる。
土器という生存のためのイノベーション
本書を通じて、私の中の土器の評価が大きく変わった。
土器は、火の利用に次ぐ人類史上の大イノベーションだった。
煮炊きによる消化吸収の向上、保存性、衛生レベルの改善、アク抜き、さらには葬送にまで使える多機能性。
土器は文化的道具であると同時に、生存を支える装置でもあった。
気候が文明を壊した世界史の事例
良渚文化、古代エジプト王国、殷王朝。
これらの文明はいずれも、寒冷化や乾燥による食料不足を引き金に崩壊している。
文明は強固に見えても、食料供給という一点が崩れれば、驚くほど脆い。
温暖化は「文化」ではなく「文明」の問題
印象的だったのは、
「地球温暖化は文化の問題ではなく、文明の問題である」
という指摘だ。
二酸化炭素は国境も思想も超える。
価値観の違いで片付けられる話ではなく、人類全体の制度設計が問われている。
「牛の星」となった地球
地球上の陸上動物の総重量の約40%は牛、人類自身も約20%を占める。
もし宇宙人が地球を調査すれば、「牛の星」と報告するかもしれない、という比喩は強烈だ。
人類はすでに、地球環境を左右する巨大な存在になってしまった。
生き延びてきた理由、これから問われるもの
本書の最後に残ったのは、単なる危機感ではない。
ホモ・サピエンスが生き延びてきた理由——知恵、試行錯誤、協力、共有、そして自由——を、いま再び選び直せるかどうかが問われているのだと感じた。
人類の繁栄は奇跡的だ。
同時に、気候が少し乱れるだけで滅亡の危険を常に孕んでいる。
制度を変えること。
文明のあり方を問い直すこと。
その必要性を、静かだが重く突きつけてくる一冊だった。
備忘します。
気温が2度上昇すると環境に多大な影響が出ることになる。…気候の社会への影響の中で最も重要なのが食料不足である。日本の気象条件では水の出入りがないように田んぼを仕切ると水分の蒸発量が降雨量を上回るので、水分が不足してその土地は田んぼでなく畑になってしまう。ページ3
地球温暖化は、二酸化炭素など世界共通の物質によって引き起こされるので、文化でなく文明の課題と言える。ページ7
第3と第4の寒冷期は、山内丸山の開始と崩壊に対応する。この2つの寒冷期に挟まれた気候最適的に山内丸山は興隆した。… 「4200年前イベント」では、緯度方向では青森市と仙台市の平均気温の差に相当する約2.0度の寒冷化が起こり、栗の半栽培は不可能になった。三内丸山の人々は大規模集落を捨てて、元の狩猟採集の生活に戻り、青森周辺の森の中で生き延びた可能性が高い。ページ10
縄文時代の日本の人口は、早期に約20,000人、前期に約110,000人、中期に最多の約260,000人となった。ページ11
第9の寒冷期は、武家への政権移行期にあった。平安時代の中期以降は寒暖を繰り返しながら200年以上にわたり寒冷化し、平安時代末期には大寒冷気候となった。ページ13
直立に足歩行は瞬発的な高速移動には全く適さない。では長所は何だろうか。実は移動に要する消費エネルギーに大きな利点がある。消費量からエネルギー消費量を推定すると、人の歩行に要するエネルギーは、同じ距離を移動するチンパンジーの4足歩行の約25%と、大きな小エネルギー効果がある。ページ19
現代人の遺伝子研究によると、ホモサピエンスの総人口は、約70,000から60,000年前の一時期、2000から15,000人にまで減少し、絶滅の寸前まで追い詰められたと推定されている。ページ35
最初のホモサピエンスは対馬ルートを経由して日本に到達した可能性が高い。ページ59
遺跡などの年代により、最も古くから活用されたのは津島ルート、次が沖縄ルート、その後北海道ルートが使われたと考えられる。ページ62
土器の使用は、人々の生活レベルを飛躍的に向上させた。大地の長所は食品の作品で、生活上の衛生レベルは格段に上昇した。…第二の調書は煮ることで食材利用の範囲が広がったことである。…第3の長所は煮ると食物の消化吸収が促進されることである。…第4の長所は保存容器としての土器の特性である。…第5の長所として、土器を用いた主要植物のアク抜きが挙げられる。最後が6の長所で最期にも用いることができる点にある。ページ65
まず縄文人は地域的には東日本に多く住んでいた。東日本での人口密度は西日本の10倍以上だった。人口密度が西日本と東日本で逆転するのは、弥生時代に入ってからである。ページ75
縄文時代が平和であった事は現代日本人の遺伝子からもわかる。…この事実は日本列島では大規模な戦争や先住民の駆逐がなかったことを意味する。ページ81
中国で1973年の水路回収工事に一片の土のかけらが見つかった。さらに土壌を数メートル掘ると地下からおびたしい量の異物が出土とした。…驚くことに7600年前最古の栽培稲であることが判明した。ページ115
長江下流域では、先進的な良清文化が4200年前に崩壊した後、約300年間の長期にわたり文明が失われてしまった。再度復活したのは、約3900年前に登場した馬橋文化であった。ページ125
巨大なピラミッドやスフィンクスで有名な古代エジプト王国は、約4200年前に崩壊した。古王国滅亡直後の碑文には、エジプト南部が壊滅的な危機に見舞われ、飢えた人々が我が子を食べるに至ったと記述され、原因は4250年前ごろに、乾燥によりナイル川の水が異常に低下したためとされている。ページ127
殷王朝は、周が呼んだ王朝命である。陰の時代の甲骨文字を見ると、殷は自身を商と呼んでいた。実際現在の中国の教科書では商を正式名称としている。紀元前1046年ごろに殷王朝が滅亡すると、人々は亡国の民となり、各地に散った。このような状況下でも人々を互いに連絡を取り合い、物資をやり取りすることを生業とした。これが「商人」「商業」の語源とされる。ページ134
弥生人が日本に移住してきて、初めて稲作が始まったと教科書で習ったかもしれないが、この文は水稲に限り有効である。実は米作は、全国30の縄文遺跡でも確認されている。ただし、陸稲であって水稲ではない。陸稲は別名おかぼとも呼ばれ、環境に適応したので、水田で栽培される水稲と区別される。ページ141
15歳に達した人の平均余命は、縄文人の場合は15年だか、弥生人では30年を超えるとされる。これは単純に寿命が長いという以上に、子供を生める期間がずっと長くなっているという点で大きな効果があった。これにより弥生人の増殖率は縄文人より高めとなった。そこで、200年から300年も経つと、九州北部地域では縄文人より弥生人が人口的に優位に立った。ページ149
縄文時代の終末期から弥生時代初期にかけて、寒冷化したことにより食料不足が起こり、狩猟採集民であった縄文人の人口は著しく減少した。しかし弥生時代に入ると弥生系の人々はもちろん増加したが、縄文型の人々の人口も増加に転じていったことが、現代日本人の男性の…遺伝子から、当時の人口の変動を解析した結果に示されている。ページ151
中国で300年間を超えた王朝は1つもなかった。日本は幸いにも、このような短期間での急激な人口減少を、過去3000年間で経験する事はなかった。ページ161
吉野ヶ里遺跡では、受傷人骨と頭蓋骨を欠いた人骨が龜棺に入って出土している。日本では弥生時代に入って、初めて対人の武器が所持されるようになった。ページ163
何年もの間、統一した君主がなかった。その時1人の女子がいて、名前は卑弥呼と呼ばれた。成長しても結婚せず、神の意思を告げる選択を行い、巫女として振る舞っていた。そこで互いに競い合っていた倭国の人々は、共に卑弥呼を立てて王とした。ページ166
広島湾での復元水温によると、現代を除いて、過去3000年間の最暖期は嵯峨天皇の在期間中の820年頃となった。ページ197
本書の全体を通じて、大寒冷期が社会の大変革をもたらしたという新大寒冷期による日本社会の進化仮説を提案したい。ページ220
地球上の陸上動物の中で、総重量が1番重い動物をご存知だろうか。答えは牛で、陸上動物の総重量の約40%占める。もしも宇宙人が地球を訪れ現地調査をしたら地球は牛の星であると報告するかもしれない。豚、羊、鶏、馬を合計すると総重量の23%となる。これはこれらは主に人が食べるために飼育している家畜である。では私たち人類はどのくらいであろうか。意外に重く牛について全体の20%を占める。ベジ223
ホモサピエンスの発展の基盤は知恵、試行錯誤、協力と共有と考えられる。これらの基礎となる「自由」の価値を皆で分かち合うことが重要と考える。ページ225
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