最近、鎌田實先生の『あきらめない』という本を読みました。
あの「がんばらない」で一世を風靡した先生が、その数年後に書いた本です。
実は鎌田先生、1948年生まれで、私より7歳上。なんだか親しみを感じる世代です。
読み始めたときは、「読者を感動させようと書いたのかな?」と思ったのですが、ページをめくるうちに、どんどん印象が変わっていきました。
「嘘がつけない人。少年のように素直で、ずぼらで、だけど人を見捨てられない。」そんな人間味のある医師の姿が、静かに心に沁みてきたのです。

「親への想い」に涙する
特に胸を打たれたのが、育ての親であるお父さん・岩次郎さんへの想い。
「生きているうちにもっと親孝行したかった」
——その言葉に、自分自身の姿が重なりました。
私、母にも父にも、今でも深く感謝しています。
でも仕事にかまけて、顔を出すのはつい後回し。
一緒に食事をして、もっと話をすればよかったな……と反省しきりです。
そして何より、私の両親に本当によく尽くしてくれた妻に対して、
改めて深く深く感謝の気持ちが湧いてきました。

「あきらめない」ことの本当の意味
鎌田先生は、医師として、患者さんの「生き方」を支え続けてきました。
「命を支えるとは、患者の“丸ごと”を見ることだ」
その言葉には、医療を超えた「人間の尊厳」が込められていると感じました。
人生には限りがある。
でも、いくつになっても成長できる。
病を抱えても、前に進める。
そのために、軽い運動やウォーキングを毎日続けることの大切さも改めて教えられました。「歳だから」とか「今さら」と言わず、少しずつでも体を動かす。それが生きる力につながっていく。

鎌田先生の「少年のような心」に学ぶ
終盤、鎌田先生はこう書いていました。
「自分の中にある少年のような部分が、見えないほど小さくなっていることに気がついた」
「でも僕はあきらめない」
この一文には、年齢を重ねても変わらない「希望」が詰まっていると感じました。
私たちは年齢を言い訳にして、夢や好奇心を手放してしまいがちです。
でも、そうじゃない。
いつかまた、少年の心を取り戻す日が来る。
その日のために、自分を育て続けたい。
そんな気持ちになれた一冊でした。

最後に
「頑張らない、でもあきらめない」
——それは、あるがままを受け入れつつ、丁寧に生きること。
鎌田實先生の言葉は、今を生きるすべての人へのエールだと感じます。気づけば心が整い、感謝の気持ちに包まれていました。読んで本当によかった一冊です。
備忘します。

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…所詮、命には限りがあるんだと考える。腹をくくっている。その上で、どんなに厳しくあってもあきらめないのが良い。悪い方に考えない彼のプラス思考は見事だと思った。しかも、感心するのは、ちょっと良い情報にも浮かれていない。一喜一憂せずに、厳しい状況に追い込まれたときに、この人の頭どうかしていると思わせるほど、明るく受け止め、快方に向かった時は、手綱をぐっと引き締める。正直すごいと思った。ページ21
結果は、死後の自分の体験で確認するだけ。人類が誕生して以来、人間は皆死んでいった。自分が死ぬのも自然の摂理…深くは悩まないことにしよう。ページ31
病気になったおかげで、満足度の軸が変わった。、すごい表現だなと思った。中村哲也は、人生の意味が見えてきたのかもしれないと思った。生きることの本当の価値に気がついた。人間って素晴らしいと思う。いくつになっても変われる。何歳になっても成長ができる。哲也さんからいろんなことを教えられた。この柔軟さが病気と戦うためには必要なのだと気がついた。ページ53
…地上に立ったジェイコブは、本当にたった1人だった。前方に立つ我々に向かって、接近してきた。直立不動の姿勢を取ると、さっと挙手の敬礼をした。見とれていた我々の方が、慌てて答礼するほどだった。勝った方が先に敬礼したことになってしまった。…戦争は終わった。彼らは何とか平和を作り出そうとしていた。不安や心、恐怖によって、もう一つの別の新しい局地戦が起きてはいけないと考えているようでした。戦争を始めることより、戦争しないことや、戦争を終わらせることの方が何倍も大変であることを、彼は知っていたんです。新しい血を流さないために、彼は銃器を持つ数万の日本軍の中、丸裸で1人で飛び降りたのです。ページ71
僕を産んでくれた父と母は、その地域では名の通った家の生まれだったらしい。若い2人は僕を産んでから、1年ほどして離婚していた。ページ162
…覚えていない。離婚前に、父と母がどんな思いで僕を育ってくれたか知らない。僕の家の中に、家庭的な暖かな空気が流れていたかどうか、僕は知らない。僕の背中にある痣がいつどんなふうにつけられたかは今となってもわからない。人間は誰もが何かを背負って生きている。ページ164
人間は間違ったり、遊んだり、横道にそれたりする。先祖とか、血のつながりなんて、結構いい加減なものではないだろうか。約2,000,000年前、アフリカ大陸の美しい草原に、ホモサピエンスが誕生した。人類は同一の起源を持っている。人類は時々遊んだに違いないと思う。それ以来、人類はあやふやな血のつながりの中で生きてきた。それでいいような気がする。ページ177
(父)岩次郎は高橋竹山の津軽三味線を聴いていました。酔うと、「困った人のために生きろ、弱い人を大切にしろ」が口癖でした。「患者をビクビクさせたり、怒ったりする医者になるな」医学部に行くのに反対だった父の進学に対する交換条件でした。ページ182
あなたはいつも人生に挑戦し続けてきました。どんな時にも、あきらめない、希望を捨てない生き方をしてきました。糖尿病がありましたが、85歳までは食事療法を厳しく守ってくれました。僕がどんな医者になるか、ちゃんと成長するか、心配だったのだと思います。ページ183
命を支えると言う事は、患者さんの丸ごとを見ていくことなんだと、自分にいいきかせた。ページ221
「頑張らない、でもあきらめない」、ということに、僕はこだわってきた。あるがままの現実を受け入れながら、諦めずに、丁寧に生きる事は、可能なのだろうか。ページ258
諦めないっていう事は、諦めることなんだ。やっとそのことに気がついた。僕たちの人生はあきらめの連続で成り立っている。ページ178
僕は自分の人生のことを考えた。自分の生活の中に、今、どれだけ少年のような自分が残っているだろうか、と。自分の中にある少年のような部分が、見えないほど小さくなっていることに気がついた。ページ284
少年に戻る日を、僕は密かにカウントダウンし始めている。僕はあきらめない。ページ285

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