——ヤマザキマリ『たちどまって考える』書
パンデミックが世界を覆い、私たちが立ち止まらざるを得なかった2020年。その特異な時間の中で書かれたのが、漫画家・ヤマザキマリ氏の随想集『たちどまって考える』です。
代表作『テルマエ・ロマエ』で知られる彼女は、イタリア在住の日本人。漫画家としてだけでなく、油絵も描き、文筆家としても活動する多才な表現者です。
この本は、さまざまな国と文化のはざまで生きてきた彼女だからこそ書けた、個人の視点から世界を見つめ直す貴重な記録です。

パンデミックが炙り出す文化の断層
ヤマザキ氏は冒頭で問いかけます。「このコロナ禍のあと、新しい文化が生まれるのか」。
歴史的に、ペストや戦争の混乱後には文化の花が開いてきました。著者は、コロナ禍のなかにもその可能性を見出し、希望を託しています。
私自身の実感としても、コロナ禍の後、生成AIの進展やデジタルインフラの整備など、世界は大きく変容したと感じています。コロナと無関係とは思えません。大きな変化の前兆だったのかもしれません。
日本の「清潔文化」と感染抑制
印象的だったのは、日本の低感染率に関する洞察です。
「日本人は夫婦間でも不必要にベタベタしない。親子でも頻繁に抱き合ったり、キスしたりしない生活習慣が感染抑制に寄与しているのではないか」(p.32)
これを読んで、自分たちの無意識の行動が持つ意味にハッとさせられました。
さらに、除菌グッズや入浴習慣など「清潔」へのこだわりは、私たちの暮らしの根幹に深く根付いている文化であると、あらためて実感しました。
「老人」と「若者」の文化的断絶
もうひとつ、心に残ったのは高齢者のプレゼンスに関する考察です。
「若者ばかりがもてはやされ、お年寄りは表に出てくることを遠慮してるような印象」(p.147)
この視点には強く共感しました。特に高度経済成長期以降、日本は“スピード”と“新しさ”に価値を置く社会へと急速にシフトし、老成から生まれる知恵や美しさを後景に追いやってきたのではないでしょうか。
著者は、社会の「広辞苑の薄さ」を嘆いていますが、まさに現代日本の現状を鋭く言い当てています。
イタリアの「したたかさ」から学ぶ
イタリア社会への洞察も、この本の大きな魅力です。ヤマザキ氏は、詐欺師(フルボ)すら称賛される文化を語ります。
「経験と鍛錬を積まなければ、感心されるようなフルボにはなれない。ずる賢さは悪ではない」(p.107)
この「したたかさ」に裏打ちされたイタリア人気質は、日本とは異なる知恵のあり方を示してくれます。
混沌の中で生き抜くための知恵。それが文化として根付いているということ。日本の方が住みやすいと感じつつも、この“したたかさ”には学ぶべき何かがあると思わされました。
見直す時間が与えてくれたもの
ヤマザキマリ氏は、自粛期間中に若い頃に観た映画や、かつて読みふけった安部公房の作品に改めて向き合います。
『真夜中のカウボーイ』や『東京物語』、『フラガール』など、多様な時代と国の作品を見直すことで、自らの感受性の変化や、当時は見えなかった文脈に気づいたと綴っています。
こうした再視聴は、記憶の書庫を開き直すような作業だったのでしょう。時間を経て得た経験や視野の広がりが、過去の作品を新たな角度で照らし直す。
著者はこの“再読・再視”の体験を通じて、思考の深まりと自己の更新を味わっています。
コロナ禍がもたらした「立ち止まる」という強制的な時間は、時に、流れに飲まれていた自分を客観視させてくれます。
その貴重な瞬間を、彼女は豊かな感受性と表現力で受け止めていました。「今あえて見直す」ことの大切さを、静かに教えてくれる一節です。
おわりに —— 「考える」という贅沢
コロナ禍によって与えられた「たちどまる」時間。それを「考える」時間に昇華させた著者の姿勢は、読者にも静かな影響を与えます。
この本は、内省と対話の書でもあります。文化、社会、歴史、個人、それぞれの視点を編み込んだ文章に、ヤマザキマリというひとりの女性のしなやかな知性を感じました。
忙しない日々のなかでこそ、ぜひ「たちどまって考える」時間を持ってみてはいかがでしょうか。
備忘します。
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…日本の感染率が低くイタリアと比べて本当に抑えられているのだとしたら、人との接触が少ないことや、夫婦間でも不必要にベタベタしない、親子でも頻繁に抱き合ったり、キスしたりしないといった、日本人の人の常日頃の生活習慣が、少なからず関係しているのではないでしょうか。ページ32
ヨーロッパで美術の勉強する際にも疫病はしっかりかかわってきます。中でも14世紀半ばにヨーロッパで猛威をふるい、何千万人の犠牲者を出したペストのパンデミックは美術においても大きな意味をなす出来事でした。…主にヨーロッパで顕著だったのが、死神としてのベストが描かれるパターンです。人間の行いが悪かったために、天罰としてペストという悪が骸骨の姿で地上に降りてきて、人々を懲らしめているという地獄のような絵画がたくさん残っています。これは1300年代後半から1400年代初頭にかけてヨーロッパに広がった「死の舞踏」と呼ばれる様式で、イタリアやフランスの美術にも見られます。ページ72
終戦とともに起きたスペイン風の流行。それによる身内の死。ファシズムやナチズムの台頭。精神的にも経済的にもボロボロになった人たちが、ムッソリーニやヒトラーに傾倒してゆく様子。ファシズム政権下、若かりしアントニア夫妻は新天地を目指してイタリアの植民地だったエリトリアに移住、失敗して戻ってきたところで第二次世界大戦に突入。…イタリアの老人たちの話を聞いていると、映画やドラマといったフィクションの世界以上に、この地球上には波乱に富んだ人間のドラマがあることを実感させられるのです。ページ80
今回のパンデミックのもたらした様々な非日常についても「むやみに殺されるかもしれない戦争に巻き込まれるよりは全然マシだ」という考え方にもなります。ページ81
(イタリアは)今やロシアの金持ちや中国人たちにどんどん買収されていますが、それすら「まぁいつまでも続くものではない。時代が変わればやがて彼らは去っていくだろう」位に捉えています。ページ84
経験と鍛錬を積まなければ、人を感心させられるようなフルボ(詐欺師)にはなれません。だからイタリアでは、ずる賢いことが悪では無いのです。アラビアンナイトは中東発祥の物語ですが、様々な機転を効かせるフルボがその中に出てきます。中東も、そして地中海沿岸の世界も、不条理や混乱が絶えない国ではフルボでなければ、人間は強く生きていくことができないのです。ページ107
イタリア人たちの猜疑心は、常に他国による干渉や異文化の混入が繰り返されてきた怒涛の歴史によって形成されたものだといえるでしょう。あらゆることが自分たちの思い通りにならないという歴史に、彼らは鍛えられてきたのです。ページ110
私は若い頃に見ただけで、すっかりわかったつもりになっていた映画をこれを機に改めて見直すことにしました。「真夜中のカーボーイ」、「さらばわが愛」、「自転車泥棒」、「生きる」、「悪い奴ほどよく眠る」、「一人息子」、「長屋紳士録」、「東京物語」…様々なジャンルを見ていますがどの作品にも新たな発見やいろんな経験をしてきた今だから見えてくるものがあります。ページ123
比較的近年の方がでは「フラガール」を再び見ました。ページ138
日本のカフカと目される安部公房は、私が10代の頃から敬愛する作家の1人です。彼の作品は小説から戯曲論評に至るまでしらみつぶしに読んできましたが、自粛期間中にさらにもう一度読んでみようと思う気になったのが、エッセイや評論を集めた「死に急ぐ鯨たち」。小説「方舟さくら丸」ページ132
片や今の日本は、お年寄りへの尊敬の念が昔ほどないように見えます。特に文化的な分野を見ていると、若者ばかりがもてはやされ、お年寄りは表に出てくることを遠慮してるような印象を覚えます。そんな社会においては自分の「広辞苑」が薄いことを気に止めない、というよりも薄いこと自体に気づいていない人が多いように感じるのです。お年寄りは何はともあれ、年齢を重ねることでしか人間が得ることのできない知恵や感性を持っている。ページ147
日本でお年寄りのプレゼンスが弱まってきたきっかけがあるとすれば、高度経済成長期ではないでしょうか。テクノロジーの進化や外来文化の浸透していく勢いについていけないお年寄りの足手まとい感がその時点で生まれてしまったのかもしれませんね。ページ148
自分の頭で物事を考えられない人が大半になったときに、社会に発生する不安な現象がどのようなものかは、ナチズムやファシズムのを振り返えれば容易に創造がつくでしょう。古代ローマ時代のベストのパンデミック後に当時の新興宗教であるキリスト教に依存する人が増えたという話も思い出してください。内側の知力を自ら鍛えていく事は、生きていく上でとても大切なことなのです。ページ149
昨今の日本人はとにかく清潔への意識が高い。あらゆる潜在に抗菌と言う表示がなされているし、携帯用の除菌ウェットティッシュに至っては、パンデミックの前からみんな普通に使っていました。トイレの後には必ず手を洗うし便器には洗浄機能がついてなきゃ嫌と言う人もいる。80年代位までは、汲み取りの便所はまだ都市部の一般過程にもありましたし、抗菌製品もこんなに普及していなかったというのに、いつの間にか日本は清潔大国になっていったのです。もう一つ注視したいのは、日本人の入浴習慣です。海外暮らしの長かった私は日本ほどお風呂によく入る人たちはこの世に存在しないということを痛感しました。173
スティーブ・ジョブズと言う人の自然を込みからしていた時常に感じていたのは社長室のテーブルに裸足の汚い足のせ、「自分を雇えと」言う、得体の知れない若者を、一度はむかついたとしても面白そうだと受け入れる周囲の寛容性です。ページ199
メディアから得る情報は、自分が知りたい良いところだけ抽出できます。対して経験かられる得られる情報は、時に失敗や屈辱感といった苦悩がもたらすものも含まれます。だからこそ、発する言葉や行動にも、独特な彩りや深みが生まれるのです。波風の立つ大海原で苦労を伴いながら、自分で釣った魚で撮った出汁と、インスタントスープの違いとでも言うべきでしょうか。昨今のインスタントがどんなにハイクオリティーであっても、口に入れたときの味覚への染み込み方はやっぱり違う。ページ236
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