「広重名所江戸百景」を読みました。版画集です。妻の書棚から拝借しました。安藤広重は1797年から1858年を生きました。江戸の火消し道新の子に生まれ、数え13の時に母をなくし、父が隠居したため浩重が火消し道新の色を継ぎました。東海道五十三次で名声を得た広重は「江戸100」を死の直前まで描き続けました。本書ではゴッホとの関連性が縷々述べられています。確かに、ゴッホの絵のバックに浮世絵が使われていたのを思い出しました。この「江戸100景」に見覚えのある構図がいくつかありました。私のお気に入りを列挙しておきます。「11景、上野清水堂不忍池」「28景、品川御殿やま」「30景、亀戸梅屋敷」「53景、大はしあたけの夕立」「90景、上野山内月のまつ」「91景、猿わか町夜の景」「100景、浅草金龍山」「108景、深川州崎十万坪」「110景、南品川鮫洲海岸」などです。江戸末期の景色を見て、その変貌ぶりに驚くばかりでした。28景、110景は私の生まれたところです。備忘します。
「江戸100」は大地震後の江戸の町の復興の様子を、修復された順に版画に仕上げている。江戸の町の復興を描いた作品には点検を申請しつつも、被害の大きさを庶民の目から隠していた幕府によって、2、3回ほど出版の差し止めを受けているのではないかと思われる痕跡がある。… 118景の完成に3年をかけている。ページ173
江戸時代の貨幣単位を現在の金額に換算することは困難である。価値観が現代とだいぶ異なるからで、例えば一両は職人の手間賃をもとに換算すれば30万円ほどになり、米の価格に換算すれば55,000円程度になる。江戸時代は現在に比べ、職人の手間賃が安く、米の価格が高かった。そこで便宜上一両15万円とし、庶民の貨幣単位である一文は25円位であったとするのが1つの目安になるだろう。ページ180
江戸時代、相撲は1年で春と夏の2場所、1場所は10日間だった。「一年を二十日で暮らすいい男」といわれた所以である。広重と同時代の名力士に、雷電為右衛門がいる。44歳で引退するまで、力士生活21年、江戸本場所36場所で黒星はわずか10個、勝率は9割6分2厘であった。ページ183
時刻の単位「一時」は、現在の約2時間と言うことになるが、同じ一時でも昼と夜夏と冬では長さが違っていたことになる。一時より短い時刻の名称はなく、一時の半分を「半時」、その半分を「小半時」といった。ページ191